(AB型)「あー。いつも思うんだけど、B型の男性って自己チュー多いよね」
( B型 )「あぁ?!それを言うなら男より、女のB型の方が手に負えねーよ」
( B型 )「はぁ?!亜熊マジうざい。あんたのB型は『バカ』のBだね、バカ型」
( A型 )「いや、案外日本は甘えの文化ですから我儘な人自体が多いのかも」
( O型 )「うーん。結局、人間なんてみんなくだらないエゴの塊ってことですよ」かうんさるー(B型)から一言
「まともなB型もいるよ!ココにいるよ!」過度の一般化は、自分の数少ない経験から、誤った一般論を導き出すことを言うよ。この過度の一般化は、他の認知の歪みに比べて、“ごくありふれた認知の歪み”と言えるかな。むしろ、この認知の歪みが全く無い人のほうが少ないかもしれない。誰と話している時でもいいから、少し注意深く人の話を聞いてみるといいよ。驚くほど、会話の中に出てくるから。もしかしたら、自分でも言ってるかもしれないしね。主なものは次の2種類。
A)「1回〜数回」を「いつも、だいたい」と言う
B)「1人〜数人」を「みんな、ほとんど」と言う
例えば、「いつもうまくいかない」とか「いつも失敗する」とか、ついつい言っちゃうよね。でも、本当はいつもじゃない。うまくいく、成功する時もある。「ぶるどくたーって、いっつも鼻くそほじくってるよね」とかも言いたいけど、正確には、一日中鼻くそほじくってるわけがない。たまには鼻毛を抜いている。だから「いつも」じゃない。でも、ざっくり「いつも」って言いたくなるんだよね。わかっていて使う分にはいいんだけど、これが本当に認知の歪みレベルになると、少し厄介なことになってくるから修正したほうがいいかな。次のは「みんな」の例。
・○○大学出身には嫌な奴が多い
・片親(一人親)の子どもはグレる
・最近の若者は常識がない
どれも間違いだよ。
大切なのは先入観にとらわれずにちゃんと目の前のその人だけを見ること。ひとくくりにしないこと。「いや、でも、実際そうなんですよ」と反論してくる人がいるけど、“実際”には違うから。捉え方や視野が狭いだけだから、上記のような過度の一般化はやめようね。あと、“迷信”は、大昔にされた“過度の一般化”の名残かもしれないなーとか考えると少し面白かったりするよ。いろんな迷信があるけど、ぱっと思いついたところで説明してみよう。
・黒猫が横切ると悪いことが起こる
・夜、爪を切ると親の死に目に会えない
とある村。黒猫が横切った後に、たまたま不幸なことが起きた人がいて、「黒猫のたたりだ!」とか大騒ぎしたんじゃないかなぁ。それを聞いた村人達が、「そういえば私にもそういうことがあったわ!」「オラにもあっただよ!」と次々に言いだして、ついに村長が「よし、黒猫が横切ったらいつも悪いことが起こっているらしいので、各自そういう時は心の準備をしておくように」と村民に伝えたり…。
江戸時代頃。夜、爪を切っている時、疎遠になっていた親が危篤状態になったと連絡があり、急いで行ってみたものの親の死に間に合わなかったという人がいたんじゃないかな。その人はとても後悔したので、町の人々に「オイラみたいにならないように、親のことは常に気にかけておいた方がいいぞ。あぁ、あと爪は朝切ったほうがいい」とか言って回っちゃったりしたのかもしれない…。
いや、ただの作り話だけどね。本当の由来は知らないよ。迷信っていうのは、一度はそういうことがどこかの誰かの身に起きたことで、それが一般化されちゃったんだろうなって話。
やっぱり、「一見」しただけで、全てわかった気になるのはよくないよね。「百聞は一見にしかず」と言う諺があるけれど、カウンセラーとしては、「一見は百聞におよばず」と言いたいところ。カウンセリングでは一見が叶わない、つまり、クライエントが体験した出来事をどうしたって見ることができないからね。見られないから、100回でも200回でも同じ話を聞いて一見に近づくしかない。それでも、なかなか“理解”なんてできない。でも、その過程には「一見」で得られない何かがある。はず。と思いながら、一般化せず、目の前のたった一人のクライエントの理解に努めていきたい、なんていうところで今日はおしまい。
認知の歪み
@白黒思考
Aマイナス思考
Bべき思考
C感情的推論
D飛躍的推論
E部分的焦点づけ
F自己関連づけ
G過度の一般化
H過大評価・過小評価
Iレッテル貼り
「ん?ワシもB型だぞ。…『ですよねー』ってオイ、何か文句あるか?」




【名称】かうんさるー
【名称】なや美
【名称】ぶるどくたー
【名称】かんごるー
【名称】ギャル=アン=グレイ
