配点の誤り〜完璧主義のカラクリ

a1.png「お前らこの間のテスト何点だった?」

t2.PNG「私は当然満点だったわよ」

g1.png「あたし、マイナス1点」

a1.png「俺なんて、マイナス89点だぜ・・・」

t3.PNG「あんた達、0点以下って・・・」

g1.png「うちらってほんとバカだよね」

c2.PNG「一体どんなテストを受けたらそんな点数がつくの?!」


モー先生から説明
sh1.png「ちょっと変わった配点で10問のテストを行いました」

配点は次のようなものです。
・正解すれば+1点。
・間違えれば−10点。


ぴすこさんは、10問正解だったので、
1点×10問=10点満点でした。

ギャルさんは、9問正解し、1問間違えたので、
(1点×9問)+(−10点×1問)=−1点でした。

亜熊さんは、1問正解し、9問間違えたので、
(1点×1問)+(−10点×9問)=−89点でした。

正解数と得点の関係は以下のようになります。
正解数012345678910
得点-100-89-78-67-56-45-34-23-12-1+10

そんなテストですから、ギャルさんなんかは9問も解けているので、得点はマイナスですが実は全然バカなんかじゃないということになります。普通の配点に戻せば、ぴす子さんは100点、ギャルさんは90点です。ただ、亜熊さんは普通の配点に戻しても10点なので、やっぱりもう少し勉強したほうがよいでしょう。


かうんさるーから一言
c3.png「このテストの配点はうつ状態の人の世界観を表しているよ」

ずいぶん恐ろしいテストだよね。こんな配点だと、全問正解以外はマイナスの得点になってしまうってこと。5問できていたのが、6問できるようになったとしても、マイナスには変わらない。7問できるようになったって、8問できるようになったって、それでもマイナス。どうせいくら頑張ったってマイナス。結局、完璧にできなければ意味がない、なんて思ってしまうのが、うつ状態だからね。つまり、うつ状態になってしまうポイントは、物事を捉えるときや評価するときの「配点」というところにあるんだ。

さて、もしもこんな配点を、日常生活の出来事に適用してしまっている人たちがいたらどうなるだろう?

例えば、今日は朝から子どものお弁当を作って、洗濯をして、その間に掃除機をかけて、お昼の準備をして、子どものお迎えに行って、その帰りに夕食の買い物にも寄って、ついでに、近所の人に先日もらったおすそわけのお返しを渡しに行って・・・なんてスケジュールだったとする。それを、まるでテストの問題のように捉えて一つ一つクリアしていこうと考えていた場合。

お弁当を作れた、+1点。洗濯できた、+1点。掃除機もかけた、+1点。お昼の準備をした、+1点。子どもの迎えに行った、+1点。夕食の買い物をした、+1点。でも、近所の人にお返しを持っていけなかった、−10点。

本日の総合得点、−4点。

結構頑張ったのにがっかりだね。「ダメな日」のできあがり。こんなんじゃいけない!と自分にダメ出しをして、次の日こそは、満点を取ろうと同じように予定をこなすけれど、やっぱり、何か一つくらいはやり残したことがあって、結果的に総合得点は次の日もマイナスに。そんな日々の繰り返し。たまには全ての予定をこなすことができるけど、だからこそ、「ほら、やろうと思えばできないはずはないんだ。できなかったのなら、自分の努力が足らなかったってことだ」という風に思い込んでいってしまう。

次第に、予定を課題のように感じて、予定があること自体が苦痛になっていく。ある日、何一つやりたくなくなる。その日の課題に手をつけ始めてしまうと、全問クリア以外は、0点以下になるからだ。少しだけやるということがどうしてもできない。「少しはできた」ではなく、「少ししかできなかった」としか思えないから。これは認知の歪みだね。

でもね、ほとんどのテストは減点方式じゃなくて加点方式なんだよ。自分の人生を振り返ってみて。間違ったらマイナスの得点がつくテストなんて受けたことがない人のほうが多いはずだよ。

できないことや失敗は、マイナスの得点がつくのではなくて加点されないだけ。できたら+1点。できなかったら±0点。つまり、次のように考えていきたい。予定を一つこなしたら、+1点。予定をこなせなかったら、±0点。減点はしない。人に親切にしたら、+1点。もしも、イライラして人に八つ当たりしても、±0点。そこでも減点はしない。仕事で失敗しちゃっても、±0点。・・・さすがに、うっかり犯罪を犯しちゃった時くらいは、マイナス点をしっかりつけておいてもいいけどね。

基本的には加点だけをしていくこと。減点なんて無い。そして、人生における出来事に誤った配点をつけているなら見直して、自然な配点に戻していこう。その配点を決めてしまっているのは、自分自身なんだから。
この記事へのコメント
合点!!

母親の私への採点はこの配点だと思います。私の自己評価もこんな風になりがちです。

むむーって感じです。日々難儀ー。
Posted by Sum子 at 2013年05月23日 23:01
リストカットをしているAmiです。
この記事には関係ないのですが、また相談させてもらえないでしょうか?
カウンセリングが行き詰まっています。
と言うより、Amiの中に「今のままがいい」「変わりたくない」など、治療にはマイナスな感情が沢山湧いてきてしまい、カウンセリングに「行きたくない」「辞めたい」「カウンセリングが怖い、不安」そんな気持ちで、病院に行けなくなってしまいました。
カウンセリングのことを考えただけで、吐き気がしたり、異常なほどに緊張して体が震えたり、過呼吸になりそうなぐらい心臓がバクバクして、それが苦しくて今はずっとカウンセリングを休んでいます。
ですが、同時に「リスカをやめたい」「逃げたくない」「変わりたい」という気持ちもあるのです。
Amiはカウンセラーさんとは相性が合わなかったからカウンセリングは辞めたほうがいいのでしょうか?
それとも、カウンセリングを続ければ、いずれはリスカをやめられるけど、治療上の一時的なものだから、カウンセリングは続けたほうがいいのでしょうか?
何だかもぉ訳が分からなくなってしまって、自分でもどうしようもなくなってしまいました。
長い書き込みになってしまいましたが、所長さんの意見が聞きたいです。
よろしくお願いします。
Posted by Ami at 2013年05月25日 08:37
タイムリーな記事をありがりとうございます。

まさに、この状態で
今カウンセリングを受けています。
以前カウンセラーさんにお話しした内容が
少し変更されて書かれているのかと
感じたくらいです。

かうんさるーの言いたい事、
自分でも気づいているし、
頭では分かるんだけど心で分からないのです。

めちゃくちゃな採点をした時に
今、認知がゆがんでいると頭では分かるのですが 心が納得できないのです。

自分で勝手にしんどくなっているだけだと
頭で分かるのに 心が理解できないのです。

どうすれば 心で分かるようになりますか?
心で分かるようになるためのコツみたいなのがあれば アドバイスお願いします。


Posted by クライアント at 2013年05月28日 20:50
頭にスーッと入ってくるようでわかりやすかったです
まんま自分だなというのが最初に持った感想でした

「これをしたらこう思われるんじゃないか」
「他人に迷惑かけそうだからやめておこう」
結局行動に移さないでマイナスを回避してるだけなんですよね

本人はその行動さえマイナスだと捉えるんですけど
人にマイナスを与えるくらいなら自分だけで抱え込もうとしてるのかもしれないですね
Posted by ささやん at 2013年06月04日 16:00
その通り。なんですが…。
私は今カウンセリングを受けていて心理士さんにも同じように完璧にしないよう
普段は根を詰めて考えないようにして、今は好きなことを好きなだけしてください、と言われました。
ですが、今度はその言葉で線が切れたように、本当に好きなことだけをして何もしなくなってしまいました。
今日できることを今日しない、まぁいいか、の積み重ねで気づいたら何も出来てない毎日。
だから日にちの感覚がなくて、テレビで週一番組の早さにもう一週間経ったのだと思ったり。
こんな毎日でいいはずがない、そう思うのに、やらなきゃいけない事が出来ない…。
確かに気持ちは楽になりました。けれど新たな問題です。楽を思い出してしまいました。
私は元々が享楽人間でした。それに蓋をしていただけです。
そこに信頼している心理士さんからの言葉で解放されたのでしょう。
辛いです。自制的な自分を取り戻したい。生活リズムもめちゃくちゃです。
Posted by 零 at 2013年06月17日 07:51
>Sum子さん
「むむーって感じです」という表現に素直さが表れてて好感が持てました。マイナスの配点をつけないように意識してくださいね。

>Amiさん
コメントへの返信はいつになるかわからないので、相談としては役に立てないかもしれません。
さて、読ませていただいたところ、カウンセリングになんらかの意味や効果があるからこそ、Amiさんにはいろんな症状が出ているのだと思います。カウンセリングは楽になる場ではなくて、辛いことに直面する場でもあります。続けることで乗り越えていけるものなので、怖いでしょうけれど、できれば再開されたほうがいいと思います。

>クライアントさん
心でわかるようになることは目指さないほうがいいです。まずは頭でわかることが大事で、それがしっかりとできるようになると、いずれ結果的に心からそう思える日がくるという感じです。
心に理屈は通用しないので、感じるままに感じさせてあげてから、頭を使って自分の心に向かって「そう感じてしまうのは仕方ないよね」と認めてあげること。次に「でも、実際には配点を間違えてないかな?」と優しく気づかせてあげる、みたいな感じです。
頭を使って心を支えるというイメージ。

>ささやんさん
「人にマイナスを与えるくらいなら自分だけで抱え込もうとしてるのかも」
そうだと思います。ただ、人にマイナスを与える勇気も時には必要です。傷つけたり、傷つけられたり、という相互性(お互い様)が人間同士には不可欠なんです。もちろん、致命傷にならない程度にですが。

>零さん
確かに、楽になることより先に、自分にダメ出しをしないことを優先しないと、零さんのように辛くなってしまいますね。
ずっと楽をするわけではなく、「今」は零さんにとって、楽をすることが必要な時期なんだと考える必要があります。
信頼できる心理士さんと、カウンセリングを続けてくださいね。
Posted by モンキークリニック所長 at 2013年06月22日 22:55
すみませんでした。答えにくい相談なんかしてしまって。

結局、カウンセラーさんと話し合い、治療は一旦中断することになりました。

無茶な相談しておいて、答えてもらったのにこんな結果になってしまい、申し訳ありません。
Posted by Ami at 2013年07月11日 10:24
いえいえ気になさらずに。
カウンセラーと話し合った末の中断ならば、それはそれでAmiさんにとって大事な決定だろうと思います。
また、カウンセリングを利用できる日がくるといいなと思います。
Posted by モンキークリニック所長 at 2013年07月22日 17:04
こんにちは。パーソナリティ障害について調べていたところこのHPに行きつきました。直接的にこの記事へのコメントというよりも助言をいただきたくコメントをさせていただきました。
長くなるかと思いますので、お時間のある時に読んでいただき、お返事までいただけますと有難い限りです。


私は24歳女性です。昨年半年ほど鬱病で休職していました。しかしその前の大学時代にも強迫性障害の症状があるのではと友人に指摘されたことから病院には通っていました。(尖ったものがだめです)
中学生くらいにはすでに死にたいという願望が強くあり、まさか24まで生きるとは思っていませんでした。今でも虚無のようなものが急に襲ってきて、突き落とされるような感覚がして精神にむらがとてもあります。理由なんてないんです。まるで他者が私を押し飛ばすような、自分の感情や出来事とは関係のないようなレベルで精神的な不調がはじまり、嵐が過ぎるのを待つしかないという状態です。

大学時代も、昨年の鬱病の時も薬が効いたという感覚は全くないどころか、薬を飲んでいること自体に抵抗があるというか、自分の把握されていないものを鵜呑みにするというのが本当にできないので、そういう意味でも薬を飲んでいること自体がストレスで途中でどうしても放棄してしまい、こんなの飲むくらいなら死んでしまいたいと思っていました。また、金銭的にも多少負担となるものであるということにも強い不安を感じだめでした。

しかし、大学を出て働くようになって、普通に朝起きて、普通にある程度の生きていくことへの肯定感覚がないことが辛く、どうしようもないジレンマにはまってしまうことが増えました。数か月に一回は自分がすべて完璧にできないことに発狂しそうになります。勉強も一生懸命したし、大学も世の中で一流というところをで、テストだけでなく、学問も享受しました。(政治思想、哲学が専攻です)たぶんこれ以上頑張る必要はないのだと思います。でもいつも頑張らなきゃだめになるという不安が頭を離れません。堕落した人間になることに過剰なほどの抵抗感があり、少し太っただけでも自分が許せず切り刻みたくなります。
たぶんこれは性格や個性という領域のものではないように思います。薬を飲むことへの恐怖は残りますが、働いていくためには薬とのよい関係性も必要だと思わざるを得なくなりました。

本やサイトや病院で先生やカウンセラーと話した結果、私は鬱病の症状もあるけども、実際鬱病ではないから、昨年の鬱の薬が何一つ効かなかったのではと思います。強迫性障害も当てはまる部分もあるけども直接的な原因ではないように思います。このサイトをみて、パーソナリティ障害、特に強迫性パーソナリティ障害が一番近いのではという結論に行きつきました。

長くなってしまい恐縮ですが、
私の症状はやはりパーソナリティ障害に近いのでしょうか。近々病院には行こうと思っていますが、また病院や薬への不信感を高めたくはないので、ある程度何の病気なのか、鬱病の薬とパーソナリティ障害の薬は違うのかとか、違うなら先生に正しい薬を出してもらえるように話さなければと思っています。

何か助言がありましたら、本当に助かります。精神的な苦しみがはじまってもう10年以上です。そろそろ我慢の限界というか、このままだらだら生きていても何の改善もないむしろ悪くなっているという不安があり、もうだめなんじゃないかと感じています。少しでもいいんです。お気づきの点ありましたらご教示いただければと思います。


よろしくお願いいたします。
Posted by 恵麻 at 2013年08月29日 20:16
コメントありがとうございます。
ギリギリ生きている、しかし、それももう限界かもしれない、そんな崖っぷちな状態がずっと続いているというのに、精神が崩壊してしまわない自分の客観性を疎ましく感じているような、いっそ精神が崩壊してしまえばいいのに!といった叫びのような文章だという印象をもちました。お応えできる範囲で書かせていただきます。

まず、10年以上原因不明の苦痛に悩まされているということは、つまり、難病であると考えるしかありません。今のところそういう場合には、「仮に」パーソナリティ障害として対処していく他ないと思います。おそらく、他人に迷惑をかけることができなさすぎて、著しく自分自身が苦しむという意味で、重度のパーソナリティ障害と仮定してもよいと思います。ただ、そういう風に診てくれる医師やカウンセラーは少ないかもしれません。社会性が保たれている方は、軽症だとみなされがちだからです。軽症扱いされると「わかってもらえない」という感じで行きたくなくなると思うので、まずは、しっかりと難病扱いしてくれる治療者を見つけることが大切です。
また、どのパーソナリティ障害かを特定しようと執心することには、ほとんど意味がないと考えます。おそらく、どれにも当てはまるし、どれにも当てはまらないという感じになるはずだからです。

主要な治療目標は、簡潔に言えば、他人に迷惑をかけたり、頼ったりできるようになることだと思います。手段としては、「迷惑をかけることと、頼ったり助けてもらったりすることの違い」を理解し、体験していくことが必要になります。あるいは、「孤立して生きていくことと、自立して生きていくことの違い」を理解していくことと言ってもいいかもしれません。とにかくその第一歩としては、病院ではなく、カウンセリングを利用することが第一選択となるはずです。カウンセラーに迷惑をかけるのではなく、カウンセラーに頼るのです。カウンセラーを頼らず孤立するのではなく、カウンセラーに頼りながら自立するんです。
しかし、一番の問題は、そのカウンセリングを継続できないということだと思います。「カウンセラーに頼っている自分はダメだ」という感覚が出てくるからです。また、カウンセリングは、対話という形のない時間(50分)におよそ5000円〜10000円もかかります。そうなれば、いずれ費用対効果に納得がいかなくなってきてやめてしまいたくなるのではないかと思います。そういう気持ちを乗り越えて中断せずに、週1回ないし隔週でカウンセリングを2〜3年ほど続ければ、多少、感覚が変わるかもしれません。もちろん、変わらないかもしれません。ですが、難病治療にお金がかかるのはどうしてもやむを得ないことなんです。
これが、パーソナリティ障害の方を中心にカウンセリングを行っている一人の臨床心理士としての現実的な意見です。

※今回の返信は、他のパーソナリティ障害の方にも共通して読んでいただきたいことを含めたので、通常の返信より長めに書かせていただきました。恵麻さんの書き込みを利用させていただく形になってしまいますがご容赦ください。
Posted by モンキークリニック所長 at 2013年08月29日 22:50
早速のお返事ありがとうございます。
そして、文章を本当によく読んでいただけたのだと伝わってきました。

お察しいただきましたように、ここまで頑張っても崩壊しないのはやはり自分の客観性があるからだと思います。だからこそ今日まで頑張ってこれたのですが、その点が辛く、先生や周りの人に理解されにくい理由だと思います。精神崩壊することでの心の自殺が私の中で直近に考えていることです。命をたつだけでなく、精神だけを故意に狂わせる方法もあるのだと思います。

人間関係も傍から見ればとても器用にできているという評価を受けますが、私は自分の不完全さが嫌いだからこそ人間というそもそも完璧にならない生き物が嫌いです。嫌いだから変な諍いがないよう注意を払っているだけの合理性からというか。。
本題からそれてしまいましたが、他人に頼るということはなかなか難しいなと思います。簡単な日常生活のことなら頼れます。これ持ってとか、これやってとかです。でも内面のこの困難を他人に頼ることでよくすることは厳しいかもしれません。予想するに、多分他人は私の苦悩を助けることは出来ないからです。理解されるとも思いません。せっかく助言をいただいたのにこんな態度でごめんなさい。安易に一方的に諦めているのとは違うんです。人に期待して、相手の不完全さに傷ついて、あーやっぱり理解されないんだなと落胆するのが怖いんです。
しかし、お返事を読んで薬だけでなくて、カウンセリングも重要だと理解しました。すぐにカウンセリングをという風には正直私はなれないですが、そうやって付き合っていくことも必要だということは念頭において、自分の準備ができた時、いいカウンセラーの方を見つけていければと思います。

すぐにお返事いただけたこと本当に有難かったです。とりあえず明日はちゃんとやっていけそうです。有難うございました。
Posted by 恵麻 at 2013年08月29日 23:59
一見、人間が嫌いと言いながら、こうして人間に助言を求めているという矛盾にさえも、きっと恵麻さんは気がついていることと思います。気がついているからこそ、そんな自分にうんざりしたりするのでしょう。
だけど、コメントを読む限り、恵麻さんは人間全てが嫌いなわけではなさそうです。むしろ、すっぱり嫌いになりきれるならどんなに楽かと思います。
多分、完璧に理解してくれる人に会いたいという気持ちが強すぎて、それが絶対に叶わないこともわかっていて、それでも理解してくれようとする人と話がしたい、というあたりが抑圧している気持ちなんじゃないかと思います。ぜひ、カウンセリングを検討してみてください。
書き込みありがとうございました。
Posted by モンキークリニック所長 at 2013年10月09日 22:42
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