自己愛憤怒

k1.png「こんなに頑張ってるのに誰も認めてくれないなんておかしいわ!(プンプン)」

n1.png「化粧じゃなくて、仕事頑張れよ」

a1.png「なんでお前ら、俺の偉大さがわからないんだ!(フガフガ)」

n1.png「いや、みんなわかってるよ、あんたの体型は肥大だよ」

c2.PNG「なや美ちゃんはもう少し相手の気持ちを考えて話した方がいいと思うよ」

n3.png「わたしは相手のためを思って本当のことを言ってるのに、そんな言い方ひどい(ムッ)」

c1.png「ああ、確かに今の言い方はなや美ちゃんの気持ちを考えてなかった。ごめんよ」


かうんさるーから一言
c3.png「褒められたがる人ほどよく怒る」

自己愛憤怒とは、自己愛が傷ついた時の不適当なほど強い怒りのこと(『自己愛と恥』も参考に)。自己愛憤怒は、大きく分けて2つあるよ。

1つは図星を突かれた時の怒り。
特に誇張することもなく事実を伝えただけでも、それが相手の気にしていることだと、「なんでそんなひどいことを言うんだ!」という反応をされてしまったりするよね。恥を感じると自己愛っていうのは傷ついて泣きたくなってしまうんだけど、そんな弱い自分を見たくないし、人に見せたくもないから、その恥を覆い隠すために人は怒ってしまうことがあるってわけ。例えば隠しておきたいコンプレックスをずばり指摘されちゃった時とか、「やるやる言って、やらないよね」みたいに痛いところを指摘をされて怒るのが自己愛憤怒の1つの形。

もう1つは、相手が自分の思い通りに動かなかった時の怒り。
自分が何かを頑張った時、それをほめてもらえないと、「不当な扱いをされている」と頭にきたりする。また、自分の意見が採用されたなかった時、「軽く見られている」と感じてしまい、相手が何もしていなくても、いや、自分の意見に耳を傾けず何もしてくれないからこそ自己愛が傷つき、それを覆い隠すために怒ってしまう。

つまり、自己愛憤怒とは、自分の存在価値を守るための自分都合の怒りなんだ。

自分は正しい存在なんだから、他人から指摘なんかされないはず。自分は正しいことを言っているはずだから、相手は自分の言う通りにするべき、または、自分のことを褒めるべきだ、と思ってしまう。ひいては、自分は正しいのだから、この怒りも正当なものだという認識になるので、「怒ることじゃなかったかなぁ」なんて振り返ることは稀。

「怒りという感情」と「怒りの表出」は別物だよ。
怒りはちゃんと感じよう。そして、怒った方がいい時に怒る。自己愛憤怒かもしれないと思ったら怒りは相手に向けない。その区別をしていこう。区別の仕方は、「された」場合は怒っていい、「してくれない」場合は怒ってはいけない、と覚えておくくらいでちょうどいいよ。

自己愛憤怒の例をいくつか挙げておくよ。

【連絡】
「どうして連絡してくれないんだ」、「どうして返事を返してくれないんだ!」と激しく問い詰めながら怒るのは、「してくれない」ので自己愛憤怒。あたかも、3歳児が「抱っこして」とか「見て、見て」と繰り返し要求し、親がそれに応じないと手足をバタバタさせて泣いて怒るかのよう。子どもにとって親は自分の一部で、いつでも自分の要求を満たしてくれる存在だから、その年齢の時はそれでいいんだけど、大人になっても3歳児のような怒り方をするのはまずいよね。他人は親じゃないから、望むようにしてくれない方が当然なんだ。こういった怒り方をするのは境界性パーソナリティ障害の人に多いね。

【質問】
質問に答えてもらえないと「無視された」と言って怒るのも自己愛憤怒。「された」だから怒っていいんじゃないかと思うだろうけど、返事を「してくれない」というのが本質なので、それも自己愛憤怒なんだよ。天皇、総理大臣、知事、市長、芸能人なんかに手紙を送っても返事なんか返ってこないことは知っているはずなのに、身近な人に対しては、質問したら答えてもらえるものだと勘違いしている。質問に対しては答えないのが普通で、答えてもらえたら、ありがたいって話だよ。怒るところじゃない。

【夫婦】
妻が夫に、「何もしてくれない」、「何も言ってくれない」と怒るのも自己愛憤怒。逆に、夫が妻に「どうして俺の言っていることがわからないんだ!(どうしてわかってくれないんだ)」と怒るのも自己愛憤怒。夫から妻への自己愛憤怒は力関係でDVという形になりやすい。

「お前の暗い顔が、俺をイラつかせるんだ!」
「何度言ってもわからないなら、怒るしかないだろう?!」

どうして俺を立てないんだ、なんで俺の言うことをきかないんだ、俺がこんなに説明してやっているのに、お前は全くわかろうとしない。俺のことが大事なら、愛してくれているなら、なんだってしてくれるはずだろう?そんな風に、「してくれない」を「された」と捉えて怒ってしまうのが、自己愛性パーソナリティ障害の思考の特徴の一つ。怒りを他人のせいにしてはいけないね。怒りは相手に引き起こされるものではなく、自分が引き起こしているものだと認識することが大事だよ。

【親子】
子どもに怒りすぎる親も然り。どうしてわかってくれないの、なんでママの言う通りできないの、というのも自己愛憤怒。実は、子どもは悪いことをしていない場合がほとんど。本当は子どものせいではなく、子どもを思うようにできない母親の自己愛が傷つき悲しくなっているということに気がついていない。虐待とまではいかないが、「なんで」「どうして」と泣き怒りする母親は、子どもの自尊心を低下させ、のびやかな心をつぶしてしまうのでカウンセリングを受けておこうね。

【職場】
「お前のことを思って、厳しく言ってやってるんだぞ!」なんていう上司の怒りも、自己愛憤怒。こんなにしてやってるのに、なんであいつはわからないんだ。恩を仇で返すような真似しやがって。「どうして恩返しをしてくれないんだ!」という自己愛憤怒が、パワハラにつながるんだね。

DV、虐待、パワハラ。どれも自己愛憤怒が関係している。

ほめてもらえないという理由では怒らないこと。
質問に答えてもらえないという理由でも怒らないこと。
わかってもらえないという理由でも怒らないこと。
思うようにしてもらえないという理由でも怒らないこと。

頭にくるなぁ、と思うのは自由だけど、相手には相手の権利があるということを理解し、怒りをそのまま相手にぶつけることを正当化するのはやめようね。

でも、怒りを全部我慢しろって言ってるんじゃないよ。必要な怒りを必要な怒りの表現方法で出そうってことだからね。もし、これを読んでも自分の怒りが自己愛憤怒かどうか判断がつかないようなら、カウンセリングを利用することを考えてみてね。

れた思考』を意識しておくと、されたと思ってることのほとんどが、実はされていないということに気がつけるようになるので、日常場面で怒るなんてことはかなり少なくなってくるはずだよ。理屈ではわかっても、実際に身に着けるのは大変だろうけど、今後の自分のために身に着けておきたいね。ではまた。
この記事へのコメント
初めまして。
以前からちょっとずつ拝見しておりますが、今回のエントリーでちょっと頭が混乱しているのでコメントしてみました。
ちょっと長いですがお付き合いください。

>「された」場合は怒っていい、「してくれない」場合は怒ってはいけない

ここはよくわかったのですが、質問に答えない、連絡をしないというので怒っちゃいけないというのがよくわかりません。
確かに答えたくないことに答えなくてもいいという道理はわかりますが、特に仕事では業務上こちらが把握しておきたい事項に対し、回答がない、または保留されるのは仕事が先に進まなくなるのでお答えいただきたいなぁと思うところです。あまりにのらりくらりされると「どうなってるんですか!」と詰め寄りたくなります。こちらの責任が果たせず、私も困ってしまうけどあなたも困る結果になるんですよ、と。
連絡も同様です。約束しておいてすっぽかされると、ちょっと相手に対して苛立ってしまいます。

あと、コンプレックスを刺激されて怒る場面もあります。私は、甲状腺の病気で10キロ以上太ったのですが、それを夫に「あのころのおまえは痩せてたのに……」と言われると怒りと悲しみが沸き起こってきます。一度、「太りたくて太ったわけではないので、そういうこと言うのやめて欲しい」と伝えてみたのですが「でも太ったのは事実でしょ? ホントのこと言ってなにが悪いの」とあしらわれてしまい、ものすごく怒ってしまったのですが、何度お願いしてもやめてくれなくて。わかってもらえないことで怒っちゃいけないというのはわかりますが、わかってもらえないと一緒に生活するのが苦しくなってしまうのです(涙)
Posted by ウーノ at 2014年10月07日 14:35
『自己愛と恥』の時にはよく分からなかった事が、ちょっと分かった気がします。

先日、出来がイマイチだなーと思うものを人に渡さなければいけなかった時のこと。
相手からそれを指摘されてしまった時、ガァっと頭に血が上って激しい怒りが湧いてきました。
ああこれが自己愛憤怒・・・、と気がついて、声を荒げそうになるのをなんとか押さえつつ対処しました。

以前は『恥を覆い隠すための怒り』というのがよくわからなかったのですが
こういった自分でもうすうす上手く行っていないのが分かっている場合だと、恥→怒りという順番がよく見えるようです。
素直に自分の落ち度を認められれば怒りには繋がらないのでしょうが
それには「この人には弱みを見せても大丈夫」という信頼が無ければ難しいです。
とくに自分の場合は自分が見下している人が相手だったので、余計に怒りが強くなった気がします。

怒りが湧いたからといってコミュニケーションを放棄するわけにもいかないのが辛いところですが
その場でこれは不必要な自己愛憤怒かどうか判断して上手くやって生きたいですね。

あと、その後傷ついた自己愛をどう取り扱えばいいのかもよくわかりません。
あれからもう4日経ちますが、思い出すたびにふつふつと怒りが湧いてきます。
酒でも飲んで忘れられれば楽なんですけどねえ。
Posted by ケロケロ at 2014年10月12日 20:30
>ウーノさん
ご質問ありがとうございます。なかなか変えようがない体型について言われると頭にきますよね。
ただ、納得できないかもしれませんが、書かれていることはやはり自己愛憤怒かと思います。質問に応えてもらえないことや、連絡をしてもらえないこと、約束を守ってもらえないこと、気にしていることを言われることは全て、大切にしてもらえていないということなので、怒るところではなく悲しむところです。
残念ながら、ウーノさんが困ったり嫌な思いをしても相手の方や旦那さんはそれほど気に病まないのだと思います。そういう関係性なのだということを、まずは受け止めるのがスタートになります。
その関係を自分から変えていくポイントとしては、具体的には、「質問に応えてくれてありがとう」「連絡を入れてくれてありがとう」「約束を守ってくれてありがとう」と日頃からいちいちこまめに相手に伝えておくことです。そうしておくと、相手は、そんな風に言ってくれるウーノさんの期待に応えたくなりますし、困らせたくないなと思うようになっていきます。
あとは例えば、旦那さんに「あなたはかっこいいね」と言い続けていれば、旦那さんは、「かわいげがある奴だな」と感じて、「お前は、かわいくないな」なんて言えなくなるものなんです。男女問わず、かわいげがあると大切にされやすいのです。今更、かわいげって言われても・・・と思うかもしれませんが、年齢は関係ないものですし、得るものが多いので心掛けてみる価値はあるかと思います^^
Posted by モンキークリニック所長 at 2014年10月15日 10:03
>ケロケロさん
理解されている通り自己愛憤怒の例です。日常の体験を書いてくださると、とてもわかりやすいです、ありがとうございます。
「格下のお前が私に指摘すんじゃねー!」って怒りですね。あるいは、「そもそもお前が作ったらもっとヒドイものができてたはずなんだよ!」とか言いたいかもしれません。
自己愛憤怒は感じないようにするものではなく、感じて気がついて、そのまま怒りを表さないのが大事なので、声を荒げなかったということは、そこはできたと自分を認めてあげましょう。
あとは、「弱み」「落ち度」「見下す」「見下される」といったあたりが、自己愛憤怒と関係していそうなキーワードなので、その辺を捉え直してみてはどうでしょうか。弱みというほどのものを相手に握られたのか、落ち度というほどのことをしでかしたのか、この1回で見下す、見下されるという関係が変わってしまうのか等です。
お酒を飲んで忘れるのはやめたほうがいいです、そういう飲み方は依存症につながるので^^
Posted by モンキークリニック所長 at 2014年10月15日 10:21
こんにちは。
今回もひじょーに興味深く読ませて頂きました。

ウーノさんへのレスにあった
>怒るところではなく悲しむところです。
ですが、悲しみの露出について最近抱いている疑惑がありまして。
脱線ですがちょっと書かせてください。

私が抱いているのは、「アナタ、ポジティブ思考とか自称してますけど、怒りや嫌悪や嫉妬みたいなネガティブ感情を感じていないように装って「悲しい」で代用しているんじゃないですか」疑惑です。
曰く、
「彼と意見が対立した。彼のような考え方をする人がいることが、悲しい」
「私のプランが採用されなかった。上司に見る目がなく、悲しい」
「あの作品の良さがわからないとは!・・悲しい」

本人はしおらしく悲しいとか言ってますが、自分の主張を顧みるとか、歩み寄ってみるとか、相手からの視点で考えてみるとか、そういうつもりが全く感じられない。
さらに悲しさという感情に正当性と純粋さを見いだして、相手の存在自体を効果的に卑下する道具として利用しちゃってるんじゃないの、被害者ぶってないで同じ土俵にあがってやれよ!とか思っちゃうんですが。

いわゆるスピかぶれの方々がなぜかまた周りに増えてきて、一様にこういう語り口をするんです。
涙をすーと流したりして、君はピュアでイノセントなジブリの主人公か、と。
悲しいってなんなの?と思う今日このごろです。
Posted by tomo at 2014年11月14日 13:56
>君はピュアでイノセントなジブリの主人公か
いいツッコミですね、わかります、笑ってしまいました^^そういう悲劇のヒロイン的な人に会うと、否応なく自分が脇役にされるということなので腹が立つのだと思います。同じドラマに参加させられちゃうとすごく面倒ですね。「こいつ痛いなー(痛々しい)」と客席から馬鹿にして見ているくらいのスタンスならそんなに腹は立たないかもしれません。

>悲しさという感情に正当性と純粋さを見いだして
これも的を射てますね。いい観察眼を持ってるなーと思いました。ずるい使い方というか、弱さを盾にするのも乱暴ですよね。でも、そんな人ほど実は弱くなくて図太いものですが。
Posted by モンキークリニック所長 at 2014年11月26日 10:13
そっか、茶番劇場脇役の腹立たしさだったんですね。
まさしくそうだ。
なんだろう、文章だと冷静に眺められますね。
所長からすると当たり前のささいなことかもしれませんが、こちらは多いに助けられています。
ありがとうございます。

鼻息も荒く主役のつもりで舞台に上がってしまった私にもイラっとの一因あり。
今日またお会いするので、今度はお行儀よく観覧してまいります。
Posted by tomo at 2014年12月15日 10:54
初めまして。
なるほど、他人に対する怒りって自己愛をフィルターにして物事を見ているといくらでも湧くものなんですね。
分かりやすく解説されていながら、合理的な記事だな〜と思って読ませていただきました。
しかし、私たち現代人の多くは自己愛を保つために努力し生活しているように思えます。
自己愛でなければ、何を糧に生きていけばいいんでしょうか?
私なら、自己愛が損なわれるのを恐れなくなれば、仕事をやめてアルバイターやニートになってしまう気がします。
極論かもしれませんが、答えてくださるとありがたいです。
Posted by イナ at 2014年12月18日 04:23
怒り・・
怒れる人をたまに羨ましいと思ってしまうことがあります。何故なら殆ど(すべてと言って良いかも)正当性の無い怒りを爆発させているように思うからです。そして本人は「自分が正しい。正当な怒り」と信じて疑わない。自分を信じて疑わない傲慢さに羨ましさを感じます。
1番目に書かれていた「図星を突かれると怒る」私には全く理解できない物でした。
丁度先日、私が通っている精神科の先生にこう尋ねました「図星を突かれたら大人しく認める、それしかないと思うのですが?」
先生「まさにその通りです」
2番目・・思い通りに動かないときの怒り
人や世の中が思い通りにならない、なって欲しいと思う人。なんて強欲なんだろうと考えてしまいますね。私としてはそのような人の欲や性等に巻き込まれたくないと願いながら振り回されて苦しんでいます。
以前にも似たような質問した気がしますが「巻き込まれない・振り回されない」ようにするコツなんかありませんか?(あと悪意にも)
Posted by GO.V at 2014年12月21日 08:07
自己愛25?/恥75 普段は自己愛125に装っている私のおばあちゃんは、自己愛と恥の記事を読んで自己愛性人格障害の過敏型なのかなと思いました。

おばあちゃんの言っていることは現実の彼女とは一致していなくて(理想の自己を語るのです。)
最初は、何か不安なのかなと様子を見ていて、高齢者心理なのかと調べていたのですが、そういったものは見つからず自己愛へとたどり着きました。

ある約束がきっかけでというか、おばあちゃん一人には責任や負担が重すぎるから任せられない決め事を、「ハイクラスな私に任せて」とか、「私の息子がそんなのだって友達に知られたらどれだけ恥ずかしいか分かってよ!!」と、私の説得には聞き耳を持ってくれずに、おばあちゃんが一人でやることになってしまいました。

しかし、自己愛と恥の記事にあったように、責任が果たせそうになくなると、反省とか謝るのではなく、仮病を使ったり、「なんで私を心配してくれないんだ?!」「私に対して失礼だと思わないのか?!」「私はハイクラスだから孫の家のような低次元の問題はストレスなの!!」「あんたは賢すぎて可愛くないのよ。あんたが可愛くないのが全部悪いのよ」と、回避・逃避しようとするし、自己愛の言葉のナイフを振り回します。
悲劇のヒロインのような、自分が主人公のような話し方や身振り手振りをしてきます。

一方的に傷つけられた後は、おばあちゃん自身の自尊心を補うためにか、「私は知的好奇心旺盛でハイクラスなそんな人なの!」と自己肯定の話を長々として電話を切られます。

前みたいに優しく見守ることができなくなってきて、ついに長文のメールでですが、こちらが怒ってしまって

電話だとちょっと怒ると何倍にもなって返ってきてしまうのですが、メールで怒ったのには返事が来ず、(返事が来ないのにほっとしてしまいました)

本当は、おばあちゃんを他者評価したような怒り方は、反省とか出来なさそうだし…きっと耳に届かないのだろうと思いますが、
どう接するのが正しかったのでしょうか、
Posted by 孫 at 2014年12月21日 12:29
>tomoさん
茶番劇場というのもまた味わい深い響きですね(笑)ささいなコツのようなものをお伝えしていますが、それを受け止めて意識を変えていけるのはtomoさんの力ですよ。落ち着いて過ごせるといいですね^^
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年01月12日 10:05
>イナさん
おっしゃる通り、多くの人は自己愛を維持するために生活していると思います。
一方、自己愛以外に生きていく糧になるのは、他者愛です。自分の時間を他人に割いて、相手の迷惑を引き受けたり、誰かを守ったり支えたりしようとする気持ちのことです。
他者愛も突き詰めれば自己愛なのではないか、とよく言われますが、何事も突き詰めればよいというものでもありません。行動する前に、このような概念や、物事の意味や価値などばかりに意識が囚われますと、病的になって動けなくなってしまうので考えすぎないようにしましょう。
また、ニートやアルバイターとひとくくりにされていますが、ニートよりアルバイターのほうが働いているという点では、現実を生きていく力があるように思います。
臨床心理士は、非常勤という非正規雇用で働き始めることも多いので、そう思うのかもしれません。いきなり正社員になろうとせず、経験を積むのが大切だと考えています。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年01月12日 10:26
>GO.Vさん
実はGO.Vさんの中には、「もっと我侭に生きたい」「他人のことなんかお構いなしに自分勝手に振る舞いたい」といったような気持ちがあるように思います。しかし、そんなことはできそうにないし、する方法もわからない。そうすべきとも思わない。だから、したくない、という意識でまとめあげているような気がします。自分が努力してやらないようにしていることを、他の人が考えなしにしていると羨ましくなり、腹が立つのです。
巻き込まれないようにするには、自分もやってみることです。私だってたまには周囲のことを考えずに自分勝手に振る舞っています。そして反省します(笑)反省するくらいなら最初からしなければいい、とは考えません。そういう営みも大切だと考えています。
強欲なのが人間臭さとも言えます。不完全さの許容というのが、GO.Vさんのテーマかもしれません。基本的な考え方はしっかりされていると思うので、それを柔軟にできるといいですね。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年01月12日 10:53
>孫さん
おばあちゃんに優しくしてあげたいという気持ちが伝わってきます。しかし、おばあちゃんの態度があまりにもひどいので、それをさせてもらえないというもどかしい状況なのですね。優しい自分でありたいのに、怒ってしまう自分にさせられてしまうのは、ちょっと悔しい気がしますね。マンガ『宇宙兄弟』の中にこんなフレーズがあります。

「迷った時はね、『どっちが正しいか』なんて考えちゃダメよ。日が暮れちゃうわ」
「頭で考えなきゃいいのよ。答えはもっと下。ほらムッタ(主人公の名前)。下げて下げて。あなたのことならあなたの胸が知ってるもんよ。『どっちが楽しいか』で決めなさい 」

正しいより楽しいを。一文字違いで生き方が変わります^^
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年01月12日 13:21
お返事ありがとうございます。
所長さんの言葉を自分の心(心と言う言葉は好きではありませんが)に問うてみました。
私の中にあるのは「我侭に生きたい」では無く「邪魔されずに生きたい」です。
そしてやはり「我侭したい」「している人が羨ましい」のではなく、「何も考えず」「感じず」(表現に語弊あると思いますが良い言葉が思いつきません)行動できる事(人)が羨ましいのだと思います。
例えになるか分かりませんが、「何も分からない赤子が虫を潰しても何も思わない」
これが私が周りに抱いてる感想です。もちろん実際はそのような人は殆どいませんが。
もうひとつ例えを出すと
「あいつムカツクから殴る」
私は虫を潰したいとも思わないですし、むかついたから殴りたいとも思いません。何かあっても仕返ししたいとも考えたことありませんし、思いもしません。前にも書いたような気がしますが「行為」に憤りを感じることはあっても「個人」にムカツク事はないですし。
そして、例で言うと「ムカツイたから殴るという行為に及んでしまった人」を見かけると(認知すると)非常に悲しみとやるせなさが襲います。

許す事・・これ私苦手ですね。感覚としては「起きてしまった出来事」は変えられないのでどうしようもない、と言ったところでしょうか(過去の事実は変えられない=許せない)
て感じかな。謝罪やソレに代わる何かある、無かった場合でも自分の中で折り合いを付ける。それは出来ても「起きた事」とは別で考えているので「過去が変えられない以上許す事は不可能です。

所長も宇宙兄弟見られてるんですね♪

Posted by GO.V at 2015年01月12日 14:42
確かにニュアンスが少し違ったようですね。なるほど「邪魔されずに生きたい」ですか。
自分の行為の意味や影響力に気がついていない人を羨ましく思うということのようなので、GO.Vさんは、「メタ認知をなくしたい」という気持ちを持っているのではないかと思いました。いろんなことに気がつきすぎてしまうので、気がつかないようになれたらどんなに楽だろうということです。
しかし、すでに持ってしまっているものをなくすというのは非常に難しいことです。バカになれたらどんなに楽だろうと思っていてもバカにはなれませんからね。せいぜいバカなフリをするところまでしかできません。
ということで、メタ認知について調べてみてはどうでしょうか。それを使う時と使わない時を自分で選択できるようになるといいのですが。

宇宙兄弟を読んでいると、よく泣きそうになります(笑)
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年01月16日 10:37
>自分の行為の意味や影響力に気がついていな

そうです。そんな所です。
「メタ認知」初めて聞く単語です。
wikiを見てきました。そして思い出したのが中学生の頃願っていた事。「認知症になりたい」
他にドラえもんの道具で欲しかった物「石ころ帽子」人から関心持たれず・・というか気づいてすら貰えなくなる道具。
漫画読まれるのですね。私も大好きです。
宇宙兄弟で泣けるようなシーンありましたっけ?
私は小池一夫原作(代表作は子連れ狼)の漫画「上ってなンボ」シリーズが大好きで読むと涙が止まりません。哲学と人間愛溢れる作品です。
Posted by GO.V at 2015年01月16日 21:50
いちいち考えたくないのにいろいろ考えてしまう。忘れたいことは忘れられず、気にしないようにしていることは気になってしまう。逆に覚えていたいことは覚えていられない。人間とはとても不便にできていますね。そういう思い通りにいかないことこそが自然な営みなのだ、と受け止めていけると結構落ち着いて生きていられます。
宇宙兄弟は、基本楽しく読んでいるのですが、油断していると、ふと心に響くような言葉が挿入されているので、泣きそうになります。タイミングと言い方という要素が大きいとは思います。読み手の状態も大きく関係するとは思いますが、マンガってあなどれません。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年01月30日 13:16
私の怒りは、ほぼ自己愛憤怒だとわかります。
怒りを感じるところで止めず、不健全に表出しているのです。
ほぼ自動的に、ほぼ無意識に。
その時そこには「正当」しかなく、「正義」すら感じるのです。
怒りの勢いとスピードには歯が立ちません。
私は怒りに振り回されっぱなしです。
大切にしたいものも、どんどん壊して傷つけて、自分にされてきた事と同じ事をしてしまう。
しかもそれは、自分より弱く小さい。

本当に「怒り」なんて、無くなって欲しい。
というより、いつまでたっても「できないと泣く自分」を無くしたい。
Posted by ran at 2015年02月02日 15:44
はじめて書き込みます。

私は、自己愛性の過敏型の可能性が高い人間です。
その事は、とても残念です。が、今までの
諸々を鑑みて、そう判断せざるを得ません。


自己愛憤怒のメカニズムの一連の流れは、当人にとっては
きわめて自然・自明・自動的であり、すべてセットしてとらえていたので、盲点でした。ハッとさせられました。
細かく仕分けるのは大事です。

しかし一方で、症状が自我違和的な私にとって、
自己愛憤怒「様」の現象が
「世間にありふれており、しかも『そういうもの』として世間に受け入れられている」
のが不思議でなりません。正確にいうと、納得がいかず、不満です。

例えば、部活や会社での先輩後輩の礼儀にからむトラブル。
「礼儀がなってないぞ!」「挨拶がなってないぞ!」という場面は、
自己愛が増えた近年より、むしろ昭和時代によくありました。
しかも怒る人間は口で立派なことをいいますが(あえて憎まれ役を引き受ける、真に責任感をもった大人も多くいたと思います)、
本音の「この俺様を重んじろ!」を抜いたらほとんど何も残らないし、
単に自分がされたつらい仕打ちの報復をしているだけではないかという…。

あれは自己愛憤怒そのものではないかと思うけど、
そういう人間は多かったし、当人は少しも病識を持たず、恥ずかしげもなく平然としている。不思議です。
無論、病の基準も時代の価値観とリンクして変化するものです。
体罰も、今はずいぶんと認識が変わりました。

人格障害なる概念の意図のひとつが、「時代に合わない少数者の判定・選別」にあるならば、
いかに個々人の症状が自己愛性に見えたとしても、その人達が
当時の社会の多数派である限り「人格障害」としては扱われないわけです。
ずるい、と感じます。

私の場合、我慢のあげくに自己愛憤怒を爆発させると、
人間関係がそこで切れる場合が多く、そのことを
とても残念に思います。

したがって、上記のように、
「自己都合で自己愛憤様の怒りを爆発させ、自省心なく、平然としているように見える」
人達の図太さ・ずうずうしさがある意味、羨ましく、「内省心と謙虚さを持て」と感じる一方で、小心翼翼とした自分が情けないです。

この私の感情も、
・「今感じる情けなさや罪悪感は、内心に秘めた誇大・過大な『本来の自己像(実は虚像)』との比較より生じている感情であること」
・ある人が「平然としているように見えること」と「実際に平然としていること」は別であること

を、加味して眺めたほうがよいでしょう。


長くなってしまいました。
所長のHPは最近見つけ、興味深く拝読していましたが、
今回の記事は、つい書かざるを得ない不思議な力がありました。

私が恥部と思っているところがテーマだったから、強く揺さぶられました。
でも、自分の自己愛の強さを感じられました。

ありがとうございます。
Posted by ミミミ at 2015年02月11日 08:52
脱字の訂正です。
○すべてセットとしてとらえていたので、盲点でした。

×すべてセットしてとらえていたので、盲点でした。

失礼しました。
Posted by ミミミ at 2015年02月11日 09:07
>ranさん
「怒り」に振り回されている以前に、「自分が正しい」という感覚に振り回されているとも言えそうですね。
であるならば、「自分がどこか間違っているのかもしれない」とあえて意識的に考えてみることが、結果的に怒りの制御につながるかもしれませんね。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年03月20日 15:39
>ミミミさん
常識の方がおかしいということは結構ありますね。おっしゃるように、時代に大きく左右されることもあります。確かにずるいですよね。
自己愛というテーマは、どの人も一度は向き合ったほうがいいものだと感じます。多ければいいものでもなく、なくせばいいものでもない。気がついた時に、自分の自己愛がどういうサイズになっているかを認め、多すぎれば減らし、少なすぎれば増やす、その繰り返しだなと日々思います。これでOKなんてことはなく、気がついたら傲慢になっていたり、不必要に卑屈になってしまうのが、自己愛のなせる業なので、一度向き合えばいいどころか、死ぬまで向き合っていたほうがいいことなのかもしれません。大変です。
他人の粗探しをしている時間があるならば、自分の自己愛にしっかりと向き合っていく方に時間を割きたいものですね^^
コメントありがとうございました。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年03月20日 15:53
お返事ありがとうございます。

そうかぁー、そうなのかぁぁぁ…、
そうだな…
と悶絶中です。

正当と正義は感じるのに、「自分が正しいとは思わない」という感覚が根強くあり、認識するまで時間がかかりました。
きっと自分の都合いいように、頭の中で切り貼りしてきたんだろうな、と想像します。
この記事は、何度読み返しても理解できなくて、文字すら目に入らない感じでした。読み込もうとすると、あっという間に頭の中が「?」でいっぱいに。
これは…自己防衛だったように思います。
まさに「図星を突かれた」ところ。
怒りではなく拒絶で承認を回避していました。
いや、「承認を回避していた」より「恥を感じないようにした」…ということなのかな。
う〜ん、なんだかまだ理解が浅いですね。
「自分がどこか間違っているのかもしれない」というところに意識を向けて、しばらく悶絶しようと思います。

「自己愛・恥・怒り」この3セット…
重いです。ホントに。
Posted by ran at 2015年04月16日 12:27
図星ついでに言ってしまいますと、理解はゴールではなく、スタートです。「自己愛・恥・怒り」に囚われ、今まで自己愛憤怒を爆発させてしまっていたのだとすれば、今後は、それに相対する行動、つまり償いをしていくことになるでしょう。具体的には、正反対ではないですが、例えば「感謝・反省・笑い」等に言動を変えていくことです。道のりは長いかと思いますが、悶絶しながら頑張ってください。応援しています。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年05月01日 22:52
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MONKEY(モンキー):[名]小型の尾のある猿 [動]ふざける
CLINIC(クリニック) :[名]臨床講義/臨床教室/診療所
このページではパーソナリティ障害,人格障害,治療,カウンセリング,臨床心理,心理士,心理療法,精神疾患,発達障害,統合失調症,気分障害,うつ病,双極性障害,躁うつ病,気分変調性障害,ディスチミア,心的外傷後ストレス障害,PTSD,急性ストレス障害,適応障害,解離性障害,不安障害,パニック障害,強迫性障害,恐怖症,摂食障害,拒食症,過食症,依存症,身体表現性障害,性同一性障害,失調型パーソナリティ障害,スキゾイドパーソナリティ障害,妄想性パーソナリティ障害,境界性パーソナリティ障害,自己愛性パーソナリティ障害,演技性パーソナリティ障害,ボーダーライン,BPD,反社会性パーソナリティ障害,回避性パーソナリティ障害,依存性パーソナリティ障害,強迫性パーソナリティ障害,注意欠如多動性障害,ADHD,学習障害,LD,自閉性障害,自閉症,アスペルガー障害,家庭内暴力,ドメスティックバイオレンス,DV,モラルハラスメント,セクハラ,パワハラ,いじめ,ひきこもり,アダルトチルドレン,ミスターチルドレン,リストカット,オーバードーズ,ODといった概念について猿なりに解説しています。
臨床心理士各位
内容に多少の脚色や都合のよい解釈、偏った意見などが見られると思いますが、まずはどんな方にも興味を持って読んでもらえないと意味がないと考えてのことです。大目に見てくださいますよう宜しくお願い申し上げます。 カウンセリング普及プロジェクト
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