主体性

n1.png「特に話すことがないんだけど」

c1.png「自分の話したいことを話していいんだよ」

n1.png「質問してくれたら話せるんだけど」

c1.png「質問に『答える』のは主体的に『話す』のとは違うから、こっちから質問はしないよ」

n1.png「じゃあ何を話したらいいのか教えてよ」

c1.png「カウンセリングで何をテーマにして話したいのか考えてみて」

n1.png「だったらカウンセリングは何をテーマにするものなのか教えてよ」


かうんさるーから一言
c3.png「折り紙は、折り方知らなきゃ、ただの紙」

目の前に折り紙を置かれた時、折らずに眺めているだけでは、つまらない。
何も考えずに、半分に折り曲げてみても、つまらない。
知っているものだけを延々折っていても、つまらない。

つまらないただの紙から、新しい何かが生み出される時、折り紙ははじめて面白くなる。

折るだけじゃない。もし、折らないなら、絵を描いても構わない。破けちゃったなら、ちぎって貼り絵にしてもいい。とにかく、それを使って何かをするというのが大事。もし、そのどれもしないなら、折り紙なんてくしゃっとまるめて捨てたくなる、ただの紙屑のままだ。

それでは、まるで誰かの人生のようじゃないか───

さて、今日は、主体性についての話だよ。
主体性とは、自分の言動は、自分が選択して決めているってことね。「相手がこうだから(原因)、自分はこうした(結果)」と受身で自動的に流されるのではなく、「相手がこうだから(きっかけ)、自分はこう考えて(原因)、自分でこうした(結果)」と自分で決めて自分を動かしている感覚のこと。2つの文章の違いがわかるかな?原因を自分の中に置く、言い換えれば、責任を自分の方に置くことが主体的であるとも言えるね。

この主体性というのが、パーソナリティ障害の人達の中で育っていない場合が結構あるよ。

折り紙の例えでいうなら、パーソナリティ障害の人達は、唯一折り方を知っている紙飛行機を、何歳になっても飛ばし続けているようなところがある。もう、おもしろくないのに、誰かと遊びたくて、自動的に折ってみてはあちこち飛ばしてしまう。でも、紙飛行機をいくら折っても興味をもたれることはあまりなく、むしろ逆に、迷惑がられてしまうことも多いという結果になってしまう。そして、そんな自分に嫌気がさしてしまう。

あるいは、彼らは「うまく折れる方法を教えてください」といきなり人に頼んでしまう。折ったことがあるのは何?と訊けば、「ないので教えてください」と返してくる。何を折りたいの?と訊けば、「どんなものが折れるのか教えてください」と返してくる。どんなものが折れると思う?と訊けば、「わからないので教えてください」と返してくる。

いろんな折り方があるんだから、調べてみたりして、新しいものを折ってみればいいのに、「折れない」と言う。複雑な折り方を覚えようとせず、「不器用だからできない」と言って折ろうとしない。きっと、不細工な出来に耐えられないと予想するから折りたくないのだろうけど。最初は下手でも、だんだんうまく折れるようになればいいのに。何も見ずに折れるようになったら、ちょっとは自信になるのに。最終的には、「折れるようになったとしても別に面白いとは思えそうにない」とやる前から自分の気持ちを悪い方に予想してしまう。結果的に、折れないのではなく、折らない。だから、折れるものが増えないし、うまくならないから、楽しくもならない。

できないのではなく、やらない。

そこに直面させると、たいがい怒る。
「ひどい!できなくて苦しんでるのに、やってないだけみたいに言わないでください!」と。

自分で「やらない」ということを主体的に選んでいるはずなのに、それがなかなか認められない。「やりたいのにできないんです」「やりたくてもできないんです」と、主体性を否認し、自分にはどうしようもない、自分には責任がない、だから責めないでほしいと訴える。驚くほど、主体的に考えたり行動したりすることが身についていない。それってかなり生きていく上では辛いことだろうと思う。日常的に、今自分がどこに立っていて、どこに向かっているのか、どこに向かいたいのか、見当がつかないまま、自分の身に降りかかってきた出来事を日々こなしていくってことだからね。

そんな辛さが根底にあるからだと思うんだけど、「教えない方が悪い」という姿勢にもなってしまう。「どうしたらいいか知っているなら教えてくれればいいじゃないですか。知っているのに教えないのは意地悪ですよ。私は悪くないです、意地悪してるあなたの方がひどい」と。

自分に主体性がないと、こういう風に相手に責任転嫁をしてしまうことも多くなる。

彼らは、親から人生の楽しみ方、人生の折り方を教えてもらえなかったんだから仕方ないと言うかもしれない。全てが本人のせいというわけではなく、親のせいという側面も確かにある。でも、もう親はその責任をとってくれはしない。だから、どうにかこうにか自分でカウンセリングに行くしかないと、しぶしぶ重たい足を引きずって来ることになる。

そんな彼らは、口をそろえて「自分がどうしたいのかわからない」とカウンセリングで言う。

悩んでることがあってカウンセリングに来たのに、「何を話したらいいですか?」と切り出す人も多い。話したいことを話せる場なのに、自ら話そうとしない。「話すことがない」「話したいことがわからない」と言う。「質問してくれれば話せます」とか「カウンセリングがどういうものか教えてもらえれば話せます」と言う。つまり、答えようとしているだけで、自ら考えようとしていない。自分は何もせずに、カウンセラーに何かしてもらおうと思っている。

「じゃあ、どうしたら主体性をもてるようになるんですか?」

そう結論を知りたがる質問ばかりする。どこまでも主体性を放棄し、責任転嫁をしてくる。せっかく自発的に来たはずなのに、カウンセリングで話すという点では自分で責任を負い続けられない。「来たくて来ているわけじゃない」と責任から逃れようとしてしまう。「必要があるっていうなら来ますけど」とカウンセラーのせいにしようとする。

カウンセリングに来ると、まず、この主体性の問題が浮き彫りになる。

「教えてくれない」と言って怒るか、「役に立たない」と言ってカウンセラーのことを見限ろうとする。彼らのそれまでの人間関係のパターンがカウンセラー相手にも起こるんだ。でも、カウンセラーの方から途中で投げ出すことはないので、そんな自分のパターンに向き合って、カウンセリングが苦しいと感じながらも乗り越えて考え続け、試行錯誤し続けると、ようやくほんの少し主体性というものが芽を出してくる。そこからがようやくカウンセリングらしいカウンセリングになる。もちろん、そこに至るまでもやっぱりカウンセリングというものなんだけどね。諦めずに続けていくのが大事だよ。

さて、楽しいこと探しはもうやめよう。「楽しい」より「楽しむ」のが大事だ。
つまらないものをどう楽しくするか考えて行動しよう。

面白いことないかな。
じゃなくて、
面白くできないかな。

これ役に立たないな。
じゃなくて、
どうにか役に立てられないかな。

あいつ使えねー。
じゃなくて、
あいつどうやったら使えるようになるかな。

以上、今日は主体性の話。
この記事へのコメント
今日も耳が痛いお話・・・、いえ、今日のは特に痛いお話ですね。

>驚くほど、主体的に考えたり行動したりすることが身についていない。
その通りです、私には主体性がありません。
他人に主体性があるということすら理解できません、意味が分かりません。

>それってかなり生きていく上では辛いこと
その通りです、学生のうちはまだいいのですが、終盤になるに連れて辛くなりますし
社会人になってからは致命的な欠点となって襲い掛かってきます。

計画を立てろ、予定を提出しろ、企画を考えろ、予算を見積もれ。
私にはどれ一つとしてまともにできませんでした、同期や先輩はできているのに。
上司はどうしたらいいか教えてくれない、助けてくれない、手伝ってもくれない。
ふざけるな、手伝ってもくれない人間がどの面下げて自分を叱責するのか。
じゃあ「責任」とやら取って辞めてやるよ!

こんな感じで思いつめて、そこでふと気がつきました。
アレ? 自分の仕事を途中で投げ出して、それの何処が「責任」なんだ?
結局それは、ただの八つ当たりじゃないか。
責任を取るということは、投げ出してしまうことではない、罰を受けるということでもない。
自分が、自分の意志で、この仕事をするということが「責任」なんだ。
思わず嗤いました。こんなことも理解していなかったなんて!

それに気がついたあの日以来、他人のせいにするのは止めにしました。
いや、止めにしたつもりです・・・、つもりですが他人のせいにしてしまうこともあります(笑)。
結局、私は未だに折り紙が上手に折れないままです、どうやって折ったらいいのかもよく分かりません。
それでもこの折り紙は自分が好きだから、自分で選んだものです。
上手く折れなくてすみません、ちょっと待ってください、折れるようになって見せますよ。

今回のお話を読んで、あの日のことを鮮明に思い出すことが出来ました。
行動(結果)の原因に、いつも自分の意志を。忘れないようにします。
耳に痛いお話、いつもありがとうございます。
Posted by ケロケロ at 2015年03月12日 11:21
あー・・・

たぶんこの記事を読んだ『から』
「わかりました、主体性を持ちます!」
「主体性を持つ必要があるんですね、持たないといけないんですね」
て人、居ますよね?

言葉って、ただ存在するだけで、人によっては『命令』なんですよね。
だから、かうんさるーさんから、言えないんですよね。
本当に、主体性を持って欲しいから。
自分の感覚で話して欲しいから。

アスペ診断された特性上か、周りの人たちの感覚がよく分からない事が多いので、
「よく分からないけど、そうしないといけないらしいから、そうする」
という事が多いです。正直、それは今も根本的には変わってません。
でも、今は、
「よく分からないけど、そうする方がいいらしいから、自分が妥協できる範囲で、できるだけそうする。
その方が、結果的に自分が楽だから」
となりました。

あと、この記事のお陰で、気付いた事がありまして。
体調が悪い時、気分が悪い時、ついついそのせいにしがちなんですが、
それも、「どうしたいか?」、なんですよね。
体調良くなりたいし、気分良くなりたいんですよね、本当は。
体調が悪いせい、気分が悪いせいにしたいんじゃなくて。
まぁ、いいんでしょうけどね、『そのせいにしたいなら』そうしても。『『そうしたい』』のなら。
「だるいー、めんどくさいー、だるいーっっ!!!めんどくせぇぇっっ!!!!!うがああああっっっ!!!!!!」
みたいに(心のなかでですが)開き直って駄々こねたら、意外と気分よくなったりするんですよね、そう言えば。なるほど。

以上、思うところを羅列させていただきました。
Posted by ASなろ at 2015年03月13日 00:03
> 「相手がこうだから(きっかけ)、自分はこう考えて(原因)、自分でこうした(結果)」

(行為の理由 = 行為の原因)なのでしょうか?

行為の反因果説という考え方もあるようですし、行為の因果説よりも、もっともらしく思えるのですが・・・
http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/5-206a.html
Posted by とおりすがり at 2015年03月16日 11:30
>ケロケロさん

>耳に痛いお話、いつもありがとうございます。

これ、素直に受け取ってもいいでしょうか?(笑)
今回のは確かにグサッとショックを受けてしまう人が多いような内容ですね。でも、例えこれを読んで落ち込んでしまったとしても、「ここから」「認めるところから」スタートしてほしいなと思っています。

ご自身の体験、率直な意見、そして決意。コメントありがとうございました^^
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年03月20日 22:44
>ASなろさん
居ますね。逆に、それでもなお「なんで主体性をもたないといけないんですか?」って質問してくる人もいます。質問というより挑発的です。カウンセラーと議論して、論破したいという気持ちを割と多くの人が持っているように思います。

体調についてのお話は、まさにその通りです。どうしたいかです。少し、お役に立てたようで嬉しいです^^
コメントありがとうございました。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年03月20日 22:54
>とおりすがりさん
哲学ですね。どちらかといえば、私はそのページを書いている方と同じく、「心は行動の原因になる」という因果説を支持するデイヴィドソン派のようです。臨床心理士ですし。理由イコール原因とは思っていませんが、理由は原因になりうると考えています。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年03月20日 23:30
カウンセラーとどう付き合うのか、本当によくわからなかったです。
私は以前、自分がどうありたいのか全くわからなくなってしまった時、カウンセラーの元へ足を運びました。
「主体性がない」という問題が突然湧いてきたときは、未来も描けず、本当にあらゆる物が怖かったです。
カウンセラーショッピング(?)をした後、諦めてとあるカウンセラーに半年、その後はまた別の方に一年通っていたけれど、
よくわからないまま出て行きました。

私は、小・中・高で保健室だから、社会人の行くカウンセラーはおとなの保健室なのだろうというレベルの考え方から、
カウンセリングを学校の保健室のような場所だと思い込んでいました。
これは中学生の記憶が元なのですが、保健室の先生くらいの距離感が、一人ひとりを親身に考えてくれているけれど決して深入りしない。
大人になっても、いや、大人だからこそ、無理に自立と言わずに、そういう場所から立ちたかったなあという感じでした。
だからこそ、ギャップが大きかったです。

かうんさるーさんの言っている事は、めちゃくちゃわかります。
けれど、やはりにっちもさっちも行かない時のカウンセラーの「あなたは何をしたいの?」という(私が勝手に感じた)プレッシャーに、
私はついていけなくなりました。
主体性がないから来ているのに、主体性を持てと言われるのは、臨済録でも読んでいるかのようでした。
甘えるな!と言われるかもしれませんが、殺されて結構です、甘えさせてください、
そういう気持ちが強かったです。

何もべたべたな関係ではなく、善もあれば悪もあるし、不出来な私も許してくれ、
柳のようにふらふらしながら大人になってしまった私に、今しばらく拠り所になってほしい、
外の世界は右も左も自立しろ!のオンパレードで、逆に自分が考えられない、1年は時間を止めてほしい、という想いでした。
カウンセラーにそれを求めるのは間違いだったのでしょうか?
それすら近すぎるのでしょうか?

それでも今立ち上がれるのは、ずっと後になってその時の経験が、自分で考える癖として表れてきたからです。
一方、もし困っている人がいたら、多少お節介を焼いて相手に寄り添おう、手を引っ張ろう、こんがらがった感情に巻き込まれてしまおう、
その中で関係を調節していけばいい、と反骨精神みたいなものも、おかしな話ですがエネルギーです。
当時のカウンセラーがここまで見越していれば対した物ですが(笑)
回復に理想を求めては行けないけれど、複雑な感じでした。
Posted by shizuoka at 2015年03月21日 06:49
こんにちは。
今回の記事、何回も読みました。
私は、なぜやらない?なぜ自分で考えない?とイラついていた側でした。
自分探しってなんやねん、なんで失敗報告が喧嘩腰なん?夢なんてわざわざ探すもんかよ。イライラ。

やりたい事をやろうとして失敗したことなら山ほどあるけど、どうしたいか分からないという気持ちは理解出来なかったし、理解しようともしなかった。

自分がどこにいるのかも分からないまま、降り掛かってくる出来事に対応しなければならない。
そんなふうに考えたことはありませんでした。
これは怖い状態ですよね。辛い。

事なかれ主義、他力本願、そんなふうに決めつけていましたが、実態は結果も保証されず先も見えない修行中のような。
一緒にその修行はできないけれど、少しでもやりがいのある楽しい修行にするために、周りの者が出来ることはありますか?
Posted by tomo at 2015年04月07日 10:40
私も、常に頭真っ白で、何もかも訳が分からず、なんで?どうして?と聞きまくっていた時期がありました。
でも、訳が分からないながらも、分かればできるんだ、ヒントがあればできるんだ、と常に思っていました。
と言うか、そう思い、そう信じなければ、心が壊れてしまいそうでした。

なので、周りの人にも、分かればできる、ヒントがあればできる、と、信じて貰えると助かります。
一人でもそう信じてくれる人が居れば、しっちゃかめっちゃかでも、迷いながらでも、少しづつ変わっていけます。
Posted by ASなろ at 2015年04月11日 04:57
>shizuokaさん
カウンセラーに直接言葉で「1年は時間を止めさせてほしい」「大人の保健室として使わせてほしい」等と伝えれば、それを求めても構わないと思います。それを聞いて、カウンセラーがどう反応するかは、その時の状況や関係性によります。言わないでカウンセラーにそれを求めるのは間違いだと思います。カウンセラーは、「言わなくてもわかってくれる人」じゃなくて、「言ったことはわかってくれる人」なのです。

>>多少お節介を焼いて相手に寄り添おう、手を引っ張ろう、こんがらがった感情に巻き込まれてしまおう、その中で関係を調節していけばいい

この部分は、すごくいいなと思います^^それこそ人間関係のあり方だと思います。

>tomoさん
特に手が出せなくても、理解して接しているということが大切です。勝手な思い込みで相手を一方的に責める気持ちがなくなれば、おのずと、その態度は相手に寄り添う形になります。そういう人の側なら、相手だって萎縮せずに済むので、成長していきやすいものです。
あとは、ご自身が修行を楽しむことでしょうね^^楽しんで取り組んでいる人がいれば、周りの人も楽しい気持ちになるものです。相手をどうにかするのではなく、周りの人にいい影響を与えられるように自分の言動を見つめていくことが最も大事かもしれません。

>ASなろさん
周囲の人皆がそのように、当人のことを信じてあげられると本当によいなと思いますが、やはりそれは理想にすぎませんね。障害を持たない周りの人も、案外、自分の生活のことで精一杯なので、障害を持つ人を助ける立場になれない場合も多いのです。健常者が障害者を助けていくのはもちろん大事ですが、障害者も健常者のことを理解しようと努めることで、双方もっといい関係が築けるのではないかと思います。実際には、おっしゃるように、どうにか助けてくれる人を「一人」でも見つけることが大切だと思います。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年04月20日 10:30
>所長さん
仰る通りです。
私の場合、その「一人」とは、結局「私自身」だったので。
多分、「主体性」とは、そういう自覚なのだろうと思っています。
私の場合、周囲の人が少しでも私を信じようとし、理解しようとしてくれてる事を理解できるようになったのは、そういう自覚を持った後でした。
後になってから分かるというのは、こういう事なんだなぁ、と思いました。
Posted by ASなろ at 2015年04月21日 02:56
>所長
御意。ありがとうございます。
寄り添う気持ちで接することで相手が萎縮せずに済むとの話・・ああ耳が痛い。
こと仕事に関するとどうもダメですね、極めて主観的に、近視眼的になってしまって。
まだまだでんなー。
Posted by tomo at 2015年04月21日 10:42
こんにちは。
いつも分かりやすく、少しユーモアも効いた記事を楽しく読ませていただいてます。

今回の話は私にも色々と思い当たる節があるので大分グサッと来ましたね…。

私も子供のころから主体性のない子だったのですが、今思うと全く自分の意見が無かったわけでなく、「本当にやっていいのか」「やることでかえって色々言われるんじゃないか」「変に思われるよりじっとしていた方が楽」という思いが強かったように思います。
そして当時は全く自覚がありませんでしたが、今思うとそれが私の中の当たり前で、意識することすらできなかったのだと思います。
大人に変な気を遣っていたのかもしれません。

最近になって、子供だからもっと自己主張しても許されたのに、その結果失敗しても、かえって転び方を学ぶのに役に立ったのに、と思うこともある今日この頃です。

色んな方がいらっしゃると思いますが、私のようなタイプの人の場合は、そもそも「自由に思いついた事をやっていい、話していい」という場自体がなかなか想像しにくいかもしれませんね。

さて、初めての書き込みなのにリクエストで恐縮ですが、回避性パーソナリティ障害と自己愛性パーソナリティ障害(過敏型)の違いを詳しく知りたいです。
時間がある時で大丈夫なので、もし記事作成して頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いします。

長文&駄文失礼しました。
Posted by ひつじ at 2015年04月24日 14:26
>カウンセラーに直接言葉で「1年は時間を止めさせてほしい」「大人の保健室として使わせてほしい」等と伝えれば、それを求めても構わないと思います。
この言葉が喉元まで出てこない、または(通っている間は)自分が何を求めているのかもわからないときはどうすればいいのですか?
こんなに直接言えるのならば、本当に楽ですよ。
それに今でも、自分の考えている事が大人としてあまりに非常識だと思うし、
言ってダメだと言われたり、笑われたり、甘ったれんな、とか正論を言われるのが怖いです。

>言わないでカウンセラーにそれを求めるのは間違いだと思います。
すいません、書きながら自分が求める「察する」って何なんだろう?と考えていました。
会っていきなり何も言わなかったり、「先生、私の事を察して欲しいです」と言ったりするのではなく、
言えないなら言えないままに、ただ共にお茶を飲みながらのほほんと1時間、時には世間話を過ごしている中で、わたしを観察して、いろいろでてきたらいいなっていうイメージです。
これとて遠い小学校の頃の、学校適応指導員の方といれて一番自分が楽だった記憶の影響です。
1ヶ月、2ヶ月して言葉がぽろぽろこぼれていく感覚は今でも不思議でした。
やっぱりこれは、カウンセラーさん次第でしょうか。

このワガママを飲み込み人として強くなるのか、
一人の人にすべてを求めず、他のカウンセラーさんや誰かを探すことをちゃんとやっていくしかないのかな、と思いました。
なんだか、カウンセラーさんに言いにくいことを言う自分をわかってほしい、
言いにくいことを受け止めて欲しいと、カウンセリングしているみたいです。
Posted by shizuoka at 2015年04月26日 18:18
>ASなろさん
後になってからわかることもある、という感覚は確かに大事ですね。それを覚えていられれば、わからないことが出てきても、不安になりすぎず、いつかわかるかもと比較的落ち着いていられるので。というか、後からわかることだらけですよね、人生って。

>tomoさん
tomoさんは、仕事に誠実な方だろうなと改めて感じました。だからこそ、主体的に仕事をしていないように見える人に腹が立つ。でも、「自分は、まだまだだなー」と言えるtomoさんは、内省できるということで、これからも成長していけると思います。応援しています^^

>ひつじさん
残念なことに、主体性というのは、親に奪われてしまうことも確かにありますね。というか、それが原因としては一番多いかもしれません。大人になってから気づき、取り戻そうとしても、主体性が育っていないからこそなかなか何をどうしたらいいのかわからない、ということが起きてしまうので大変苦しいものです。
リクエストありがとうございます。回避性と自己愛の過敏型の違いは、書きたいと思えるものなので記事にしてみたいと思います。

>shizuokaさん
カウンセラー相手にさえ言いにくいことがある、ということを書けたことはよかったなと思います^^
カウンセリングに保健室のような雰囲気を求める気持ちを持つのは自然なことと思いますが、「人には自分の気持ちや考えを伝えなければわかってもらえないのだ」と実感していくことのほうが、shizuokaさんのこれからの人生にとっては大事なことなんじゃないかと思います。一般社会よりカウンセリングは傷つけられることが少ない安全な場なので、そこで伝えていく練習をするのがよいと思います。
察しがよいカウンセラーが必ずしも優秀なカウンセラーとは限らないし、核心に触れずに温かく待っていてくれるカウンセラーが必ずしも良いとは限らないのです。むしろ、大人になったshizuokaさんに対して、温かく待つ姿勢というのは、子ども扱いするということにもなりかねないので、時には「で、あなたはどうしたいの?」と、しっかり大人扱いすることも必要だろうと思いました。

みなさまコメントありがとうございました。
Posted by モンキークリニック所長 at 2015年05月01日 19:09
通りすがりのものです。
いつも、このサイトを楽しく見させて貰っており、日々の生活に反映させています。

せっかく所長が閉めようとしているところに割り込むのは非常に恐縮ですが、
shizuokaさんのコメントがどうしても気になってしまい、あえて書き込みました。

私も、shizuokaさんと同じことを思うときがあります。
「あなたはなにをしたいの」が本当にキツくて、耳をふさいでカウンセリングルームを出て行ったことまでありますからw
ただ、私の場合は、大人相手でもshizuokaさんのおっしゃる学校適応指導員さんの姿勢でありながら、子ども扱いと大人扱いを上手に織り交ぜるカウンセラーさんに会えたのが幸いでした。

所長が普段、どんなカウンセリングをしているのかは、私はわかりません。
記事と皆様へのレスポンスを見ると、精神的にマッチョなカウンセリングなのかな?なんて勝手に思ったりしますw
書いてあることに「ああ、こう考えればいいのね」「ぐはっ!耳が痛い。でも自分に必要だな」と、よく頷きます。

けれど所長もまた数あるカウンセラーの一人に過ぎないし、学校カウンセリングと違い完全な個人経営だし、カウンセラーの仕事が「自己一致」というような、自分の感じたことと言動との一致を求める性質がある以上、本人の性格は色濃く出てきます。
shizuokaさんが必要だったカウンセリング(というか触れ合いでしょうか)ができる人も、変わってくるかと思います。

簡単に鞍替えしてはいけませんが、shizuokaさんはあるカウンセラーさんに1年も向き合えた人であるし、あえてカウンセラーさんを選んでもいいんじゃないでしょうか。

カウンセラーも人であり、選んだ以上は自分の責任……と覚悟して挑んだのに、
カウンセリングの最中は自分が求めていたものがわからなかったり、別のカウンセラーさんでうまくいき始める、なんてことはありました。
そういうことは、事前に予測なんでできません。
ただ、最終的には、どのカウンセラーさんも、「クライエントが『主体性』を持つ」というところに行き着くはずです。
所長の言っていることは、自然に身につくはずなんです。

もし、現在もカウンセリングが必要な状況ならば、どうか広い視野で、人もカウンセリングも見てほしいです。
shizuokaさんの御健闘をお祈りしております。
Posted by 通りすがり at 2015年05月02日 20:24
遅れたコメント失礼します。
楽しく拝見しています。
まるで私のようだと思いながらこの記事は読ませていただきました。
なぜやらないのか。誰もやれと言っていないから。
自分でやりたいことがないように思います。
だから言われないとやらない。
その代わり言われたらやるため、周りからは素直と言われることもありますが。。。
それは裏を返せば何も自分では判断していない、主体性がない、ということになるのだと思いました。
誰に何も言われなくも、自分で考え、責任をもってやる、というのが苦手のようです。
当たり前のようにやっている人が羨ましい。
おっしゃる通りもう楽しくなくなった折り紙を工夫もせず、折り続けている感覚の人生です。
でも、どうしても思いつかないのです。
内からアイデアや欲望が湧き上がってこない。
ただ、この記事を読んで、自分にないのは主体性だということに初めて気づきました。
自分に足りないものを知れたのは嬉しいことです。
Posted by さくら at 2017年02月26日 09:10
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※所長とカウンセリングをしているクライエントが書き込んでしまうためコメントの受付を停止しています。
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