自閉症スペクトラム障害(ASD)

nt2.png「自閉症スペシウム光線って何?」

t1.png「自閉症スペクトラム障害ね」

nt1.png「あーそうとも言う」

t2.PNG「自閉症からアスペルガー障害までをグラデーションのように連続体として捉えようってこと」

nt3.png「グラデーションって言ったら虹じゃん。虹って言ったらやっぱりスペシウム光線じゃん」

t3.PNG「どんな理屈よ。ウルトラマンから離れなさいよ」

nt2.png「うるさい、屁理屈怪獣ピスコドン。くらえ、スパイダーフラッシュローリングサンダー!」


かうんさるーから一言
c3s.png「ちょと待ってちょと待ってお兄さん、そこはスペシウム光線ちゃいますのん」

さてさて。2013年からアメリカ式の精神疾患の分類の仕方と診断名が一部変わったよ。アメリカ精神医学会が出しているDSMという診断基準がバージョン4からバージョン5になったということね。今更感はあるけれど、その中で比較的大きな変更だなぁと感じたものを紹介するよ。ただ、アメリカ式のDSMという診断基準が全てではなくて、日本での診断名はICDという世界保健機関の方に従っていることが多いはずなので、日本ではすでに受けている診断名が急に変わるってことはないから安心してね。

では、DSM-5からアスペルガー障害という診断名がなくなり、自閉症スペクトラム障害という診断名とコミュニケーション障害という診断名に分けられたことについて(ICDの方では、アスペルガー症候群というのはまだ残っているので誤解しないようにね)。

DSM-4の診断名であるアスペルガー障害は、(1)コミュニケーション、(2)社会性、(3)想像力、の3つの内2つに障害が出ている時に診断されていたんだけど、DSM-5の診断名である自閉症スペクトラム障害では、(1)と(2)は1つにまとめられて診断時必須項目に、また(3)も診断時必須項目になったんだ。つまり、(A)コミュニケーションや社会性、(B)想像力、の2つの内2つともに障害が出ている時のみ自閉症スペクトラム障害と診断されることになったということ。一見、診断名がアスペルガー障害から自閉症スペクトラムに変わっただけのように思ってしまうけど、そうではないんだ。

まず、(1)コミュニケーションと(3)想像力の2領域、または(2)社会性と(3)想像力の2領域に障害があることによって診断されていたアスペルガー障害の場合は、自閉症スペクトラム障害に問題なくスムーズに移行できるよ。

一方、(1)コミュニケーション、(2)社会性、の2領域に障害があることによってアスペルガー障害と診断されていた人は、自閉症スペクトラム障害という診断名には移行しない。(A)コミュニケーションや社会性に障害が出ていて、(B)想像力に障害が出ていない場合には、自閉症スペクトラム障害ではなく、コミュニケーション障害という診断名になるんだ。ここが新鮮だね。

つまり、この(B)の想像力の障害、の有無が自閉症スペクトラム障害かコミュニケーション障害かの鑑別ポイントになるってわけ。「想像力の障害」とまとめてはみたけど、実際には、「常同性」とか「変化という刺激に著しく弱い」という方が近いかもな。予定していないことや、予想外のこと、知らないことがとにかく苦手。いくつか例を挙げるよ。

・柔軟性に欠ける
・順序等にこだわりすぎる
・儀式的であったり常同的で反復することを好む
・興味関心の幅が極端に狭い
・特定の感覚に対して過敏であったり鈍感であったりする

逆に、「今回のバージョンからは、こうした特徴を持たなければ、アスペルガー障害とは言えないということにしましょう」と変更されたわけ。今まで考えられていたアスペルガー障害より範囲は狭くなるね。

今現在、自分はアスペルガー障害なんじゃないかとか、家族がアスペルガー障害なんじゃないかと心配になっている人は、アスペルガー障害だけじゃなくて、自閉症スペクトラム障害やコミュニケーション障害というのも調べてみる必要が出てくるので、覚えておくといいね。

それにしても「アスペ」という言葉がなくなると考えるとなんだか寂しいな。もともとはアスペルガーさんという人の名前からとった診断名なんだけど、その略された3文字には「素っ頓狂な感じ」とか「でも憎めない、ややかわいげのある響き」が含まれているようないないような絶妙な語感だった気がするので。アスペ。

だからどうした?という人もいるかもしれないけど、こういう変更っていうのは、案外いろいろ影響あるんだよ。覚え直すの大変だし。ネット上では、「あいつアスペじゃね?」みたいに安易に間違った使われ方をしていたことが多かったけど、これからは次第に減ってくるはず。逆に、もともとはネットスラングとしてすでに使われていた「コミュ障」という言葉の使用が今以上に増えてくるはず。自閉症スペクトラム障害は、想像力の障害がハッキリしている場合にだけ診断されるようになるはずだからあまりメジャーではなくなっていき、その他の曖昧なものが全て「コミュ障」という言葉に集約されて膨らんでいくんじゃないかと思うわけ。でも、「コミュ障」って耳障りだよね。言葉にトゲがある気がする。

いや、まてよ?!(自)閉症(スペ)クトラム障害だから、もしかしたら、「アスペ」に変わって、「自スペ」という言葉が広まるのかも!そうしたらあまり語感は変わらないな、いやでも、ブツブツ・・・。

そんなことはさておき。

話は変わるけど、ここで一つ、簡易的な想像力の障害の見分け方を載せておくよ。発達途上の子どもには当てはめないでね。

「ジャンケンポイポイどっち出すの(どっち引くの)、こっち出すの(こっち引くの)」というやり方のジャンケン遊びがあるよね。例えば、次のような手になった時を想像してみよう。

自分:パーとグー
相手:グーとチョキ

想像力の障害のない人は、相手がグーを出しそうだなと思ったら自分はパーを出すし、相手がチョキを出しそうなら自分はグーを出そうという判断をする。あるいは、グーを出しておけば、勝ちか引き分けしかないと考えてグーを出す。自分が出すのものは、相手との勝負ということを踏まえて出すということだよね。でも、想像力に障害がある人は、自分の手にあるパーとグーだけを見て、強いほうのパーを出してしまいがちなんだ。「だって、パーとグーだったらパーの方が強いじゃないですか」という理屈。あるいは「相手だってグーとチョキなら強いほうのグーを出しますよね、じゃあ自分はパーを出したほうがいいじゃないですか」という感じ。おかしい考え方なのがわかるかな?。

「自分のパーを狙って相手がチョキを出すかもしれない」という想像が瞬時にはできないんだ。ゆっくり説明されればわかるんだろうけど、瞬時に相手の考えを想像するってことが非常に難しいらしい。

この「すぐに相手の身になって考えられない」感覚や考え方が、健常者には理解できないかもね。「そんな想像、普通できるでしょ?」とか、「なんでそういう自分中心の発想になるのかわからない」とか思っちゃうだろうし。でも、そういう当たり前のことができない人がいるんだよ。だからこそ、障害なんだよ。そして、障害っていうのは、バカにする対象じゃないんだよ。本人が結構大変な思いをするものなんだよ。もしそれがわからずに「アスペ」とか「コミュ障」とかバカにするために使うなら、どんなに健常者であっても、その人のほうが何か心に障害を抱えているような気がするよ。略す時は、気をつけて侮蔑的な意味を込めてないか、自問自答してみようね。

アスペルガー障害、自閉症スペクトラム障害、コミュニケーション障害。さらにそれらは、グラデーション的なものだという。一般の人は、ネットでどんなに情報を仕入れても、判断できるはずないね。なぜなら、そこだけ詳しくなっても、その他のものとの区別ができないから。全体的な知識があってはじめて、何かを特定できるということを踏まえて、自分だけで最終判断をせずにちゃんと専門家のところに相談に来るといいよ。

アスペルガー障害:大仰型

c2.PNG「モー先生は発達障害の子を受け持ったことがありますか?」

tm1.png「はい、最近ではクラスに2〜3人はいるという状態ですし」

c1.png「中でも印象的だった子はいますか?」

tm1.png「そうですね、特に記憶に残っているのは『三蔵法師』の子かなぁ」

c2.PNG「三蔵法師というと西遊記の?」

tm1.png「ええ。ただ、その子の場合、お供に誰もいない『孤高の三蔵法師』でしたが・・・」

c1.png「よければ、その子の話を詳しく聞かせていただけますか?」


モーモー教師の思い出
tm1.png「今思えば、あの子がアスペルガー障害の大仰型だったのかもしれません」

わたしが新米教師だった頃に出会ったある生徒の話です。
わたしが配属されていた中学校に、A君は転校してきました。
A君が転校してきた日の午後には、職員室は「西遊記の三蔵法師に似ている子が入ってきた」という噂でもちきりになりました。

実際に会ってみると、A君は身長が高く痩せていて、眼鏡をかけた角刈りの男の子でした。
身なりはとても清潔で、学生服には全く汚れがついていませんでした。
三蔵法師とは言い得て妙で、まさしくA君の顔立ちは菩薩顔としか言いようがありませんでした。
眉毛と目と鼻と口が全て線で描けそうな顔で、うっすらと微笑をたずさえているようにも見えました。総じて、ありがたい顔、と思ってもらえれば当たらずとも遠からずという感じだと思います。

すぐにA君の不思議な行動は皆の注目の的になりました。

最も他の生徒と異なっていたのは、A君は先生にだけでなく、クラスメイトにも敬語で話すという点でした。
両親にも敬語で話しているとのことで、どうやらA君は、話し方に限らず、何事にも融通を利かせるということができないということのようでした。

ある日の放課後、数人の生徒が、クラスで飼っていた亀をつついて頭を出し入れする様子を面白がって見ているということがありました。
すると、A君は彼らに近寄っていき、「そういうことは、人としてやってはいけないことではないでしょうか」と繰り返し注意をしはじめました。
ただ彼らの側に立ち、感情のこもらない声で、ひたすら同じフレーズを繰り返す、そんなA君に場の空気は次第に冷めて行き、生徒達は下校していきました。
わたしは「A君は動物が好きなんだね」と声をかけたのですが、A君から「いえ、動物は好きではありません。ただ、人として間違った行為だと思いましたので注意をさせていただきました」という思いもよらぬ無機質な答えが返ってきてしまい、大変戸惑ったことを覚えています。

しばらくして、『A君は赤信号を決して渡らない』という噂が流れました。
その後、『A君は横断歩道のないところも決して渡らない』という第二の噂が追加されました。
『A君は必ず立ち止まって頭を下げて挨拶をする』という第三の噂によって、噂の出所はみどりのおばさん達だということがわかりました。
礼儀正しいA君はみどりのおばさん達に大変気に入られていたようでした。
その後、第四、第五の噂が流れるのですが、からかい半分の生徒達も参入したためか、噂というより『A君は立ったまま寝る』といった都市伝説的なものになってしまいました。

A君の背筋はいつでもまっすぐに伸びていて、まるで背中に定規でも入れているかのようでした。
自転車に乗っていても背筋はまっすぐだったと生徒たちがA君の話で盛り上がっていました。
課外授業で行った劇場でもA君の背筋はまっすぐだったので、後ろの席の子が「A君の座高が高くて見えないよ」と文句を言っていたということも耳にしました。

休み時間になると、A君は古そうな漢文の本を読んでいました。
それだけでなく、帰宅後に漢文を写本することが日課になっているとのことでした。

A君の文字には丸みがありませんでした。
全ての線が直線で書かれていて、全ての線が必ずしっかり止められ、はねたり、流したり、つなげて書いているところがまるでありませんでした。
ノートの文字はどれも同じ大きさで、どの文字の横棒もノートの罫線に水平に保たれていました。
なのに、と言えばいいのか、だから、と言えばいいのか、とても読みづらい文字でした。

また、A君は文字を書くのがとても遅く、授業中、黒板を書き写すのに苦労していました。
たまに、「まだ書き写せていないので、もう少し消すのは待ってください」と言って先生を困らせていました。
そういう遠慮のないA君でしたので、休み時間になっても授業を終わらせない傾向のある先生には、「休み時間のチャイムが鳴りましたので、授業を終えてください」とはっきり伝えていました。
他の生徒に言われても気にしないような先生でも、A君のまったくもって正しい物言いには抗えず、次第に授業が延長されるようなことは減っていきました。
そういう面では、短く貴重な休み時間をつぶされたくない生徒達から、A君は絶大な信頼と尊敬を勝ち得ていました。

体育では、A君が全力で走っているのを誰も見たことがありませんでした。
サッカーの試合でも、A君は自分の立つ場所を決めていて、近くに来たボールを明後日の方向に蹴っては、元の場所に帰っていきました。
A君にとってサッカーとは、来たボールを蹴り返すことでしかなく、ボールをゴールに入れて点数を競い合うことなどには、まるで面白さを感じないようでした。
なので、A君は決して嫌われてはいませんでしたが、そういった皆でやることに関しては、いてもいなくてもどっちでも影響がない『おまめ』扱いをされていました。

図工の時間には、A君はきっと仏像を作るだろうと、皆で期待していましたが、残念ながらA君が作ったのは、かろうじて手足だとわかるものが4本ついている謎の動物でした。
誰かが「これは犬?」ときいたら、「まぁ、なんらかの生命体には間違いありません」という答えが返ってきたそうです。
A君自身にも、それが何なのかわからなくなっていたのかもしれません。

音楽の趣味をきくと、クラシック音楽という答えが返ってきました。
もう少し突っ込んできくと、坂本九さんの『上を向いて歩こう』も好きだと答えました。
その頃、時代はすでに平成でしたが、A君には確かに昭和の方が似合っていると誰もが納得しました。

音楽の授業では、A君はオペラ歌手のような発声で歌っていたようです。
しかし、音楽の先生曰く、「残念なことにA君には音程というものが存在していない」とのことでした。
声量があることが災いし、周りの皆もつられて音程が取れなくなってしまうので、音楽の先生は、A君を傷つけないように、「もう少し声のボリュームを落とすように」と優しく指導することに苦慮していたそうです。

いつからか、A君への質問タイムというのが流行しはじめました。

ゲームをしたことはあるかときくと、「お正月にすごろくをしたことがあります」という答えが返ってきました。
それによって、A君には昭和より大正の方が似合うんじゃないかという意見が出て、クラス全体が『A君には昭和が似合う派』と『A君には大正が似合う派』に分かれて勝手に議論したりして、A君のことはさておき、生徒達は休み時間を楽しく過ごしたりしていました。
テレビは見るのかという質問には、「18時から18時半には見ています」といったような答えが返ってきました。
どうやら見ているのはニュース番組だけのようでした。
A君はニュースを見ているよりも、むしろニュース番組に出てニュースを読むべきだというのが皆の共通の感想でした。言うまでもなく、A君に似合うのはNHKです。

A君は休み時間になると眼鏡をよく拭いていました。
ある日、クラスメイトがいたずらで、A君の眼鏡ケースを隠しました。普段はまるで動揺しないように見えるA君ですが、その時は意外なほど必死の形相で教室中を探し回っていました。
そのときのA君は、汗をかいて眼鏡が曇っていても、眼鏡を拭いているどころではなかったようでした。
いたずらをした生徒は、何かが怖くなったようで、「ごめん」と素直に頭を下げてA君に眼鏡ケースを返していました。
その日以降、クラスには「A君の眼鏡ケースには触れてはいけない」という暗黙のルールができあがりました。

丁寧な日本語を使い、古文にも詳しいので、A君は国語の先生には人気がありました。
習字の時間には、驚くほど質の良い筆を持参し、国語の先生がA君にいろいろと筆について教えてもらうという逆転した関係になっていることもありました。
でも、やっぱりA君はどんなに良い筆を使っても字が下手でした。

当時、アスペルガー障害という名称は誰も知りませんでした。

A君は多少からかわれることもありましたが、決して嫌われ者ではありませんでした。
ただ、卒業まで仲の良い友達はできませんでした。
A君にとって、学校とは友達と過ごす場所ではなく、学業を行うところという意味しかなかったように見えました。
そういう意味で、A君は一人で天竺を目指す三蔵法師であり、彼の側には孫悟空も沙悟浄も猪八戒もいませんでした。
それがA君にとって、残念なことなのか、むしろ望んでいたことなのかはわかりません。

A君は誰からの影響も受けないという姿勢でしたが、逆に、クラスメイトや先生の方がA君から気づかされたことは多かったように思います。最も大きかったのは次のことかもしれません。
・自分達がいかにルールを破っているかということ
・ルールというのは厳密に守りすぎるのも不都合だということ

最後に感想ですが、当時A君をいじめる子がクラスの中にいなかったということが、A君にとっても、生徒達にとっても最も幸いなことだったのだろうと思います。
願わくは、当時のクラスメイトがA君を排除しなかったように、今、大人になったA君の周りにも、そういう「違いを受け入れる」心の優しい人達がいてほしいなと思っています。

※この話はフィクションで、A君は架空の人物です。

アスペルガー障害:4つのタイプ

n1.png「なんか空気読めない奴がいてうるさくて困ってんだけど」

b1.png「そりゃ、アスペかもしれないなぁ」

n1.png「何考えてるかわからなくて行動が読めない奴がいるんだけど」

sh1.png「それは、アスペルガー症候群かもしれないね」

n1.png「いつもヘラヘラ笑ってて、いじめられてる奴がいるからなんとかしてやりたいんだけど」

t1.png「もしかすると、その人はアスペルガー障害かもしれないわね」

n2.PNG「もう…一体アスペルガーってなんなのさ」


かうんさるーより一言
c3.png「爆発的に名称が広まったアスペルガー障害。その実態とは…」

アスペルガー障害は、それを発見したハンス・アスペルガーという小児科医の名前をとって、アスペルガー障害またはアスペルガー症候群って言うんだ。障害か症候群かは論点となっていて、まだ結論は出ていないけど、ここでは障害で統一しておくよ。

アスペルガー障害は、発達障害の中で、自閉症に関連する障害として捉えられているよ。その2つを連続したものとして、「自閉症スペクトラム」と表現したりもする。スペクトラムとは「帯域」という意味だね。健常者〜アスペルガー障害〜自閉症という帯で、自閉性の軽症から重症までをグラデーションのように考えたんだね。発達障害の内訳を、下記のように位置づけている研究者もいるよ。若干誤解を生じさせそうな面も含んでいる表だけど、わかりやすいね。

自閉性:高自閉性:低
知能:高アスペルガー障害ADHDやLD
知能:低自閉症知的障害


アスペルガー障害や自閉症は、「3つ組の障害」という特徴を持っているよ。これらの障害が強くあると、「自閉性が高い(強い)」と言えるんだ。ただ閉じこもっていたり、ひきこもっていたりすることが「自閉」なのではないから誤解しないようにね。この3つ組の障害がハッキリしていて、知的障害も付随すると自閉症。3つ組の障害が部分的で、知的障害が無いのがアスペルガー障害と覚えておくといいよ。

3つ組の障害
@社会性の障害
Aコミュニケーションの障害
B想像力の障害
@社会性の障害
噛み砕いて言えば「空気が読めない」ということ。場の雰囲気を察して自分の振る舞い方を変えたりすることができない。TPOに合わせた服を着ていくということも難しい。社会的に自分が何を望まれているかがわからない。

Aコミュニケーションの障害
二者間における意思伝達の障害。それは言葉だけでなく、ジェスチャー等も含む。言葉では、比喩やことわざが理解できない。「へそで茶をわかす」なんてさっぱり意味がわからない。皮肉や嫌味もわからない。例えば「あなたは気楽でいいわよねぇ」なんて言われも、ほめられたと感じてしまいかねない。目くばせ、アイコンタクトで意思の疎通を行うなんてことは、極めて困難。

B想像力の障害
相手の目線から自分を見てみるという想像ができない。だから、自分の動作や仕草が奇妙であったとしても気がつかない。時系列的に何手も先の複雑な事態を想像することもできない。目の前のものは「ただ在る」ので、その背景にどんな事情があるのかも想像することができない。つまり、未来に対しても過去に対しても、思いをはせるということが極めて苦手。できたとしても、極端に偏っていたり、非現実的な思い込みを持ってしまっていたりする。


さて、ここからが今回の本題。アスペルガー障害の4つのサブタイプについて。内面的な違いというよりは、表面上、行動面の違いによる分類だね。抱えている基本的な障害は同じなんだけど、どのようにその障害に自分なりに対応しようとしているのか、ということが違うってことなんだろうと思うよ。

アスペルガー障害の4つのサブタイプ
@積極奇異型
A受け身型
B孤立型
C大仰型
@積極奇異型
アスペルガー障害のうち、特徴が前面に現れるタイプなので、最もイメージされやすいタイプ。このタイプは残念ながら、一般の人に「不快感」を抱かせてしまうことが多いもの。会話時にその特徴がよく現れるよ。少し詳しく見てみよう。

a)例えば、真正面や真横に妙に近い距離に立って話したりするよ。対する人は、「近い、近い」と当人から少し距離を取ることになるね。これは、一般の人の対人距離感覚というのがわからないから起こることなんだ。「社会性の障害」にあたるね。距離が近いから、暑苦しかったり、ツバが飛んで来たりと、対する人は不快に思うわけ。アスペルガー障害の人が、こういう特徴を修正するには例えば「人と話す時は、1m以内には入らない」という感じで具体的に学習する必要があるよ。親しい人かどうかを基準に距離感を考えたりするよう教えるのではなく、明確に数字で示してしまったほうがアスペルガー障害の人にとってはわかりやすい場合も多いからね。

b)不相応に大きな声で話したりもするよ。場面に応じて声の大きさを調整するということが難しいからだね。当人はいつでもどこでも「普段通り」に話しているだけだから、何がいけないことなのかよくわからないことが多いみたいだね。これも「社会性の障害」にあたるよ。

c)突然、当人の知っている難しい知識を一方的に話し始めることもあるよ。相手が望む情報の程度がわからないからだね。これは「コミュニケーションの障害」にあたる。聞かされている方は、興味がないということを示すために、時計をチラチラと見てみたりするけど、当人にとっては「時計を頻繁に見ている」⇒「時間を気にしている」⇒「話をやめてほしいんだ」という想像をすることができなかったりするわけだ。ただ、「この人は、何度も時計を見るなぁ」くらいは気が付くので、知的に高いと、それが話をやめるタイミングなんだな、と体験的に学習していたりすることもあって、そういう人は社会的に適応できていたりもするよ。

以上、根底に共通しているのは、「想像力の障害」かな。相手の立場に立って、今自分がどのように見えていて、どのように振る舞うことが求められているのかということが想像できないということだね。相手に合わせて自分を変える、ということは何気にかなり難しいことなんだよ。さて、以下はそのほかのタイプ。簡単に違いを見てみよう。

A孤立型
積極奇異型に対して、逆に、全然人に近寄らないタイプ。表情も乏しく、周囲の動きに関心を示さない。周囲から見ても、当人が何を考えたり感じたりしているかわからない。逆に、当人は自分がそんな風に思われているとも想像できない。このタイプは、パーソナリティ障害の「スキゾイドパーソナリティ障害」と間違えられちゃうこともあるね。集団から離れたところで突然行動を始めてしまうこともあって、誰にも気が付かれなかったり、逆に驚かれたりすることがあるよ。

B受身型
常にニコニコしているようなタイプ。だから、もしかすると最も誤解をされることが多いかもしれない。よく理解できていなくてもニコニコ、困っていてもニコニコ、辛くてもニコニコ。一見、なじんでいるように見えることも多い。主張することもあまりない。よほど嫌なことでない限り、拒否したりはしない。ただし、素直に応じたように見えて、やりたくないことなどは休んでしまったりすることも多い。そういう意味で、見過ごされてしまっていることもあるので気をつけたいところだね。

C大仰型
いわば修行僧のようなタイプと言えないこともない。背筋は伸びていて、動きはゆっくりという印象。沈思黙考というように目を閉じていたりもする。同年代に対しても、敬語を使ったりするよ。「私は、そのようなことは存じ上げません」などと日常会話の中で話すこともしばしば。焦らず自分のペースを崩さないので、逆に集団適応があまりよくない場合もある。礼儀正しい(正しすぎる)ので、それほど人を不快にさせることはないが、イライラさせてしまうことはある。

以上、「できない」づくし、「苦手」づくしのアスペルガー障害のサブタイプの紹介になってしまったけど、実際には「できる」こと、「得意」なことも結構あるものだよ。そういうのを見落とさず、伸ばしてあげられるように支援したり、自信が持てるように関わっていくことが、僕らの仕事と言えるね。

マイナスの概念

b1.png「お前、1引く2ってわかるか?」

f2.PNG「ええと、リンゴが1個あって、そこからリンゴを2個持っていくと・・・」

b1.png「おいおい、リンゴかよ」

f1.png「はい、持っていくリンゴが1個足りません」

b1.png「じゃあ答えは?」

f1.png「リンゴが無くなるから、1引く2は0です」

b1.png「なるほど、そうなるよなぁ」


かうんさるーから一言
c3.png「マイナスの概念を身につける前はこういう答えになるね」

「マイナス」は、算数から数学に変わる中学1年生で習う概念。これは心理学ではなく数学的な話になるけど、発達障害、特に学習障害なんかと関係する場合があるから伝えておくよ。

えことぶるどくたーの会話のようにリンゴを例にしよう。

「リンゴが1個ある」ということは、誰でも想像できるね。じゃあ、「リンゴが0個ある」というのは想像できる?

難しいね。もし想像できたとしても、点線の輪郭線のリンゴや半透明の架空のリンゴなんじゃないだろうか。でもそれって本当に0個だと言える?「0」っていうのは「無」なんじゃないの?けれど、何も想像しなければ、リンゴではなくなってしまうよね。

さらに、「リンゴがマイナス1個ある」と言われたらどうだろう。もう何がなんだかさっぱり想像できないんじゃないだろうか。

さて、実はあえて想像することの難しいリンゴを例えにしてみたんだけど、これを100m走のコースの例に変えれば全然わかりやすくなるよ。スタートラインが0で、一歩下がれば「マイナス一歩」となる。これならマイナスの概念も簡単に想像できるよね。

これってどういうことかというと、小学生で習う算数の「0」と中学生で習う数学の「0」は意味が違うってことなんだ。算数の0は何も無いという意味で、数学の0は「基準」を示す記号だって知ってた?基準ってことは、0が必ずしも無なのではなくて「はじまり」、つまり任意の点だってことなんだよね。

こういうややこしい「0」とか「マイナス」って概念が、計算することが苦手なタイプの学習障害者のつまづきになることがあるんだ。マイナスの他にも、分数とか割り算の余りという意味がわからなかったりすることがあるみたいだね。

一体どうしてなのか。考えられる可能性を挙げるとすれば、実物に置き換えて想像することがしにくい抽象的な概念だからかな。あとは、割り算については、九九を頼りに結果をあらかじめ予測しないといけない難しさがあるからなのかもしれない(割り算は、九九を逆引きして答えを絞り込んでいく、実はとても効率の悪い計算だって知ってた?余談だけど、割り算は国によって筆算の方法が違うよ)。

想像や推測の障害っていうのが、発達障害とつながりの深いものだって覚えておくといいよ。逆にいえば、こうした難しい概念も身近なものに具体的に置き換えて伝えると、学習していけるようになることもあるよ。

本当は、借金があればもっと身を持ってマイナスの概念がわかるんだけどね(笑)残念ながら、中学生で借金している子はあんまりいない。今の時代じゃ、「ローン」とか「リボ払い」とか教育上積極的に教えるなんて許されそうにないし、借金を例えにするのは諦めたほうがよさそうだね。

自分達ができて当たり前と思っていることが、障害を持った人にとっては当たり前ではないことがある。それは発達障害であってもパーソナリティ障害であっても精神障害であっても同じ。どういう障害なのかを理解し、周囲の人達でサポートしていこうね。

学習障害(LD)

b1.png「ちょっとこれ幾らになるか計算してくれんか?」

f1.png「はーい、うーん、えっとぉ・・・」

b2.PNG「おいおい、そんな難しいこと頼んでないだろ。早くしてくれよ」

f2.PNG「うぅー・・・」

b3.png「そんな簡単な計算もできんのか!ちゃんと小学校出てんのか!」

f3.PNG「うわーーーーーーーん(落雷)」

n2.PNG「うぉー・・・エコがキレた。こえー」


かうんさるーから一言
c3.png「周囲から『努力不足』『要領が悪い』と決めつけられると、LD児(者)は苦しむことになるよ」

学習障害はいずれも『LD』と略されるんだけど、医療の分野では『Learning Disorder(障害)』の略で、教育の分野では『Learning Disability(能力のなさ)』の略なんだ。両者には若干のニュアンスの違いがあるよ。どちらかと言えば、教育の分野で言われるDisability(能力のなさ)の方が広い概念で、@読む、A書く、B話す、C聞く、D計算する、E推測する、の内いずれかの部分的な能力の欠如はあるものの、全般的な知能の障害はみられないもの、と覚えておけばいいかな。一方、医療では、@ADの障害だけが学習障害で、BCの障害はコミュニケーションの障害という分類になるよ。Eの障害については、おそらくアスペルガー障害の一特徴に含まれるんじゃないかな。

学習障害を含む発達障害全般では、その障害自体が悪化していくということは基本的にないんだけど、二次的に傷ついていくことがとても多いんだ。できないことばかり克服させようとせず、できていることを伸ばすという視点も忘れないようにね。例えば、書くことに障害を持っていても、現代では働く上で書くよりもパソコンを使うことのほうが多い職業だって増えてきているだろうし、積極的にパソコンの技能を習得させちゃったほうが本人にとっては、後々役に立つってことだってあるはずだと思うよ。

あと、学習障害と混同されやすい概念にアンダーアチーバー(学業不振者)というのがあるね。アンダーアチーバーは、知能に比して学校での成績が著しく低いというもので、特定の能力に障害があるわけではないから、学習障害を含む発達障害の中には含まれないよ。強いて言えば、アンダーアチーバーは結果に焦点が当たっている概念で、学習障害は原因に焦点が当たっている概念かな。さらに誤解を恐れずに言うと、学習障害とアンダーアチーバーの関係は、パーソナリティ障害とアダルトチルドレンの関係に似ているよ。どちらも、前者はすでに精神医学的に位置づけられている専門的な概念で、後者は実際に現場で頻繁に見られる特徴的な人々にラベルを貼ったという感じ。だから後者の背景に前者の障害がある場合はあるけど、前者の背景に後者があるってことは無いね。うーん、ややこしくなってきたね。

パーソナリティ障害とアダルトチルドレンの関係
@「アダルトチルドレンではないパーソナリティ障害」
A「アダルトチルドレンと言われてるけど正確にはパーソナリティ障害」
B「パーソナリティ障害ではないアダルトチルドレン」

学習障害とアンダーアチーバーの関係
@「アンダーアチーバーではない学習障害」
A「アンダーアチーバーと言われてるけど正確には学習障害」
B「学習障害ではないアンダーアチーバー」

@は障害。Aは専門的な知識が足りなくて、レッテル貼りをしただけで、ちゃんと障害として理解されてないもの。Bは障害というよりも、環境的あるいは心理的要因による一過性または軽度と考えられるもの。こうした3パターンがあると思っておけばいいのかな。これらの区別は一般の人には難しいだろうから、やっぱり専門の相談に行ったほうがいいね。

注意欠如・多動性障害(ADHD)

c2.PNG「なんか忙しそうだね」

t1.png「そうなのよ、論文も書かなきゃいけないし、新規事業の立案もしなくちゃいけないし、まったく猫の手も借りたいってのはこのことね」

c1.png「猿の手でよければ貸そうか?」

t3.PNG「なんなのよ、アナタ。だいたいねぇ・・・あ!忘れてた!あれもやらなきゃ!じゃ!」

c2.PNG「よくわからないけど、頑張っ・・・」

blankcircle.PNG「(シーン)」

c1.png「慌ただしい人だねぇ」


かうんさるーから一言
c3.png「少なくとも異なる2ヵ所(例:家庭と学校)で同じ様子がみられないと判断はできないよ」

ADHDは、Attention Deficit / Hyperactivity Disorderの頭文字をとったもので、以前は注意"欠陥"・多動性障害と訳されていたんだけど、今は、注意"欠如"・多動性障害と変更になっているね。あたかも「欠陥品」みたいなニュアンスを与えてしまうことを反省したんだね。ただ、欠陥より欠如のほうがマシにしても、実際にはADHDの特徴は「不注意」「多動性」「衝動性」の3つを主として書かれているのが不思議なところ。そんな風に説明をするなら、最初から「不注意・多動性障害」と訳せばいいのにって思うよ。言葉っていうのは難しいものだね。

アスペルガー障害

b1.png「どうもよー、下の息子がアスペルガー障害なんじゃないかって思うんだけどよ」

c1.png「どんなことが思い当たるんですか?」

b1.png「俺と目を合わせようとしないんだよ、合ってもクスリとも笑わねぇし」

c1.png「目が合わないし合っても笑わないと。他に思い当たることは?」

b1.png「食事中も小難しいことばっかり話すしよ、空気が読めないんだよ」

c1.png「小難しいことってどんなことです?」

b1.png「アニメとかパソコンとかよ、やたら詳しいんだよな・・・」


かうんさるーから一言
c3.png「秋葉系やKY(空気読めない)をすぐにアスペルガーとか言うもんじゃないよ」

秋葉系とかオタクと言われてる人とアスペルガー障害との間に関連性はないよ。オタクでアスペルガー障害の人はいるだろうし、アスペルガー障害でオタクの人はいるだろうけどね。むしろ、オタクの人は空想豊かだし、小さなコミュニティの中では積極的に対人交流を楽しめたりするもんだよ。だけど一見両者は似ているように見えることも確かにある。それは例えば服装に関する無頓着さだね。オタクの人はお金を使う優先順位の問題で着る物は後回しだったりするかもしれない。一方、アスペルガー障害の人は相手の心情や思考を推測するのが難しくて、相手の立場に立って自分がどう見られているかを想像するのが苦手だから、自分が何を着ていても構わないといったことが起きるんだね。また、場の空気が読めずに自分の興味のあることを一方的にまくしたてたりもしてしまうことも両者に見られるけど、それは情熱がありすぎるのか、社会性が欠如しているのかという違いがあるんだよ。オタクの人は、やっちまったー・・・ってあとで振り返るかもしれないけど、アスペルガー障害の人は多分振り返れないだろうな。今のところアスペルガー障害は自閉症の一端という見方が有力だし、治るという類のものではないんだ。周囲の人は彼らを理解して、避けずに、上手にコミュニケーションを取れるようになれたらいいね。

3つの特徴+α
@社会性の部分的欠如
Aコミュニケーション能力の部分的欠如
B想像性の部分的欠如
+知能全般および言語そのものに遅れはない

その他、知覚の過敏性や特殊性、不器用さなどが一部の特徴として見られることがあるよ。

自閉症

k1.png「ねぇ、自閉症の子どもへの接し方について教えてくれないかしら」

c1.png「いいですけど、どんな場面での接し方ですか?」

k1.png「注射をする時にね、逃げ回ったり、泣き叫んだり、ひっかいたり、噛みついたりすごいのよ」

c1.png「怖くて仕方がないみたいだね、以前にすごく痛い思いをしたのかな?」

k1.png「うーん、どれくらい痛いとかうまく言葉で表現できない子だからねぇ・・・」

c1.png「じゃあ、そういう行動をしてくれたから、どれほど注射が怖いのかがわかったわけだ」

k3.png「あぁそっか、怖いって気持ちをもっと理解して言葉にしてあげたらいいのかも。ありがとう」


かうんさるーから一言
c3.png「彼らは言葉をうまく扱えないから行動で表現するしかないんだ」

彼らの行動は健常者の行動以上に、表現であるということを忘れないでおきたいね。彼らは言いたいことをうまく言葉にできなくて、行動で表現するしかないのかもしれない。だとしたら、むやみに制限するばかりではだめだよね。例えば彼らが怒りを感じた時に、危険がないように行動できる場を与えてあげることは多分必要だよ。そして、彼らの行動からその心情を汲み取ろうとする努力をすることは、多少面倒に感じても、惜しむべきではないはずだよね。
自閉症に関しては情緒的なコミュニケーションが取りにくくて、親が極めて大変辛い思いをするということも覚えておかなくてはいけないね。一般的に、親はどんなに辛くても(小さなうちは)子どもの笑顔を見ると頑張れると感じるなんてこともよく聞くよ。だとしたら、その笑顔がコミュニケーションによってなかなか得られない場合にはどんなに辛いことか。自閉症の子も確かに笑う。けれど、それは微笑みに対して微笑み返すといった親子のつながりを強く感じさせるようなものではないかもしれない。なかなか愛情が伝わらない、手ごたえがない、そんな悩みを持つ母親には支える人が必要だよ。

三つ組の障害
@社会性の障害
Aコミュニケーション能力の障害
B想像性の障害
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モンキークリニックはインターネット上にしか存在しない架空の名称です
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CLINIC(クリニック) :[名]臨床講義/臨床教室/診療所
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内容に多少の脚色や都合のよい解釈、偏った意見などが見られると思いますが、まずはどんな方にも興味を持って読んでもらえないと意味がないと考えてのことです。大目に見てくださいますよう宜しくお願い申し上げます。 カウンセリング普及プロジェクト
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