主体性

n1.png「特に話すことがないんだけど」

c1.png「自分の話したいことを話していいんだよ」

n1.png「質問してくれたら話せるんだけど」

c1.png「質問に『答える』のは主体的に『話す』のとは違うから、こっちから質問はしないよ」

n1.png「じゃあ何を話したらいいのか教えてよ」

c1.png「カウンセリングで何をテーマにして話したいのか考えてみて」

n1.png「だったらカウンセリングは何をテーマにするものなのか教えてよ」


かうんさるーから一言
c3.png「折り紙は、折り方知らなきゃ、ただの紙」

目の前に折り紙を置かれた時、折らずに眺めているだけでは、つまらない。
何も考えずに、半分に折り曲げてみても、つまらない。
知っているものだけを延々折っていても、つまらない。

つまらないただの紙から、新しい何かが生み出される時、折り紙ははじめて面白くなる。

折るだけじゃない。もし、折らないなら、絵を描いても構わない。破けちゃったなら、ちぎって貼り絵にしてもいい。とにかく、それを使って何かをするというのが大事。もし、そのどれもしないなら、折り紙なんてくしゃっとまるめて捨てたくなる、ただの紙屑のままだ。

それでは、まるで誰かの人生のようじゃないか───

さて、今日は、主体性についての話だよ。
主体性とは、自分の言動は、自分が選択して決めているってことね。「相手がこうだから(原因)、自分はこうした(結果)」と受身で自動的に流されるのではなく、「相手がこうだから(きっかけ)、自分はこう考えて(原因)、自分でこうした(結果)」と自分で決めて自分を動かしている感覚のこと。2つの文章の違いがわかるかな?原因を自分の中に置く、言い換えれば、責任を自分の方に置くことが主体的であるとも言えるね。

この主体性というのが、パーソナリティ障害の人達の中で育っていない場合が結構あるよ。

折り紙の例えでいうなら、パーソナリティ障害の人達は、唯一折り方を知っている紙飛行機を、何歳になっても飛ばし続けているようなところがある。もう、おもしろくないのに、誰かと遊びたくて、自動的に折ってみてはあちこち飛ばしてしまう。でも、紙飛行機をいくら折っても興味をもたれることはあまりなく、むしろ逆に、迷惑がられてしまうことも多いという結果になってしまう。そして、そんな自分に嫌気がさしてしまう。

あるいは、彼らは「うまく折れる方法を教えてください」といきなり人に頼んでしまう。折ったことがあるのは何?と訊けば、「ないので教えてください」と返してくる。何を折りたいの?と訊けば、「どんなものが折れるのか教えてください」と返してくる。どんなものが折れると思う?と訊けば、「わからないので教えてください」と返してくる。

いろんな折り方があるんだから、調べてみたりして、新しいものを折ってみればいいのに、「折れない」と言う。複雑な折り方を覚えようとせず、「不器用だからできない」と言って折ろうとしない。きっと、不細工な出来に耐えられないと予想するから折りたくないのだろうけど。最初は下手でも、だんだんうまく折れるようになればいいのに。何も見ずに折れるようになったら、ちょっとは自信になるのに。最終的には、「折れるようになったとしても別に面白いとは思えそうにない」とやる前から自分の気持ちを悪い方に予想してしまう。結果的に、折れないのではなく、折らない。だから、折れるものが増えないし、うまくならないから、楽しくもならない。

できないのではなく、やらない。

そこに直面させると、たいがい怒る。
「ひどい!できなくて苦しんでるのに、やってないだけみたいに言わないでください!」と。

自分で「やらない」ということを主体的に選んでいるはずなのに、それがなかなか認められない。「やりたいのにできないんです」「やりたくてもできないんです」と、主体性を否認し、自分にはどうしようもない、自分には責任がない、だから責めないでほしいと訴える。驚くほど、主体的に考えたり行動したりすることが身についていない。それってかなり生きていく上では辛いことだろうと思う。日常的に、今自分がどこに立っていて、どこに向かっているのか、どこに向かいたいのか、見当がつかないまま、自分の身に降りかかってきた出来事を日々こなしていくってことだからね。

そんな辛さが根底にあるからだと思うんだけど、「教えない方が悪い」という姿勢にもなってしまう。「どうしたらいいか知っているなら教えてくれればいいじゃないですか。知っているのに教えないのは意地悪ですよ。私は悪くないです、意地悪してるあなたの方がひどい」と。

自分に主体性がないと、こういう風に相手に責任転嫁をしてしまうことも多くなる。

彼らは、親から人生の楽しみ方、人生の折り方を教えてもらえなかったんだから仕方ないと言うかもしれない。全てが本人のせいというわけではなく、親のせいという側面も確かにある。でも、もう親はその責任をとってくれはしない。だから、どうにかこうにか自分でカウンセリングに行くしかないと、しぶしぶ重たい足を引きずって来ることになる。

そんな彼らは、口をそろえて「自分がどうしたいのかわからない」とカウンセリングで言う。

悩んでることがあってカウンセリングに来たのに、「何を話したらいいですか?」と切り出す人も多い。話したいことを話せる場なのに、自ら話そうとしない。「話すことがない」「話したいことがわからない」と言う。「質問してくれれば話せます」とか「カウンセリングがどういうものか教えてもらえれば話せます」と言う。つまり、答えようとしているだけで、自ら考えようとしていない。自分は何もせずに、カウンセラーに何かしてもらおうと思っている。

「じゃあ、どうしたら主体性をもてるようになるんですか?」

そう結論を知りたがる質問ばかりする。どこまでも主体性を放棄し、責任転嫁をしてくる。せっかく自発的に来たはずなのに、カウンセリングで話すという点では自分で責任を負い続けられない。「来たくて来ているわけじゃない」と責任から逃れようとしてしまう。「必要があるっていうなら来ますけど」とカウンセラーのせいにしようとする。

カウンセリングに来ると、まず、この主体性の問題が浮き彫りになる。

「教えてくれない」と言って怒るか、「役に立たない」と言ってカウンセラーのことを見限ろうとする。彼らのそれまでの人間関係のパターンがカウンセラー相手にも起こるんだ。でも、カウンセラーの方から途中で投げ出すことはないので、そんな自分のパターンに向き合って、カウンセリングが苦しいと感じながらも乗り越えて考え続け、試行錯誤し続けると、ようやくほんの少し主体性というものが芽を出してくる。そこからがようやくカウンセリングらしいカウンセリングになる。もちろん、そこに至るまでもやっぱりカウンセリングというものなんだけどね。諦めずに続けていくのが大事だよ。

さて、楽しいこと探しはもうやめよう。「楽しい」より「楽しむ」のが大事だ。
つまらないものをどう楽しくするか考えて行動しよう。

面白いことないかな。
じゃなくて、
面白くできないかな。

これ役に立たないな。
じゃなくて、
どうにか役に立てられないかな。

あいつ使えねー。
じゃなくて、
あいつどうやったら使えるようになるかな。

以上、今日は主体性の話。

自己愛憤怒

k1.png「こんなに頑張ってるのに誰も認めてくれないなんておかしいわ!(プンプン)」

n1.png「化粧じゃなくて、仕事頑張れよ」

a1.png「なんでお前ら、俺の偉大さがわからないんだ!(フガフガ)」

n1.png「いや、みんなわかってるよ、あんたの体型は肥大だよ」

c2.PNG「なや美ちゃんはもう少し相手の気持ちを考えて話した方がいいと思うよ」

n3.png「わたしは相手のためを思って本当のことを言ってるのに、そんな言い方ひどい(ムッ)」

c1.png「ああ、確かに今の言い方はなや美ちゃんの気持ちを考えてなかった。ごめんよ」


かうんさるーから一言
c3.png「褒められたがる人ほどよく怒る」

自己愛憤怒とは、自己愛が傷ついた時の不適当なほど強い怒りのこと(『自己愛と恥』も参考に)。自己愛憤怒は、大きく分けて2つあるよ。

1つは図星を突かれた時の怒り。
特に誇張することもなく事実を伝えただけでも、それが相手の気にしていることだと、「なんでそんなひどいことを言うんだ!」という反応をされてしまったりするよね。恥を感じると自己愛っていうのは傷ついて泣きたくなってしまうんだけど、そんな弱い自分を見たくないし、人に見せたくもないから、その恥を覆い隠すために人は怒ってしまうことがあるってわけ。例えば隠しておきたいコンプレックスをずばり指摘されちゃった時とか、「やるやる言って、やらないよね」みたいに痛いところを指摘をされて怒るのが自己愛憤怒の1つの形。

もう1つは、相手が自分の思い通りに動かなかった時の怒り。
自分が何かを頑張った時、それをほめてもらえないと、「不当な扱いをされている」と頭にきたりする。また、自分の意見が採用されたなかった時、「軽く見られている」と感じてしまい、相手が何もしていなくても、いや、自分の意見に耳を傾けず何もしてくれないからこそ自己愛が傷つき、それを覆い隠すために怒ってしまう。

つまり、自己愛憤怒とは、自分の存在価値を守るための自分都合の怒りなんだ。

自分は正しい存在なんだから、他人から指摘なんかされないはず。自分は正しいことを言っているはずだから、相手は自分の言う通りにするべき、または、自分のことを褒めるべきだ、と思ってしまう。ひいては、自分は正しいのだから、この怒りも正当なものだという認識になるので、「怒ることじゃなかったかなぁ」なんて振り返ることは稀。

「怒りという感情」と「怒りの表出」は別物だよ。
怒りはちゃんと感じよう。そして、怒った方がいい時に怒る。自己愛憤怒かもしれないと思ったら怒りは相手に向けない。その区別をしていこう。区別の仕方は、「された」場合は怒っていい、「してくれない」場合は怒ってはいけない、と覚えておくくらいでちょうどいいよ。

自己愛憤怒の例をいくつか挙げておくよ。

【連絡】
「どうして連絡してくれないんだ」、「どうして返事を返してくれないんだ!」と激しく問い詰めながら怒るのは、「してくれない」ので自己愛憤怒。あたかも、3歳児が「抱っこして」とか「見て、見て」と繰り返し要求し、親がそれに応じないと手足をバタバタさせて泣いて怒るかのよう。子どもにとって親は自分の一部で、いつでも自分の要求を満たしてくれる存在だから、その年齢の時はそれでいいんだけど、大人になっても3歳児のような怒り方をするのはまずいよね。他人は親じゃないから、望むようにしてくれない方が当然なんだ。こういった怒り方をするのは境界性パーソナリティ障害の人に多いね。

【質問】
質問に答えてもらえないと「無視された」と言って怒るのも自己愛憤怒。「された」だから怒っていいんじゃないかと思うだろうけど、返事を「してくれない」というのが本質なので、それも自己愛憤怒なんだよ。天皇、総理大臣、知事、市長、芸能人なんかに手紙を送っても返事なんか返ってこないことは知っているはずなのに、身近な人に対しては、質問したら答えてもらえるものだと勘違いしている。質問に対しては答えないのが普通で、答えてもらえたら、ありがたいって話だよ。怒るところじゃない。

【夫婦】
妻が夫に、「何もしてくれない」、「何も言ってくれない」と怒るのも自己愛憤怒。逆に、夫が妻に「どうして俺の言っていることがわからないんだ!(どうしてわかってくれないんだ)」と怒るのも自己愛憤怒。夫から妻への自己愛憤怒は力関係でDVという形になりやすい。

「お前の暗い顔が、俺をイラつかせるんだ!」
「何度言ってもわからないなら、怒るしかないだろう?!」

どうして俺を立てないんだ、なんで俺の言うことをきかないんだ、俺がこんなに説明してやっているのに、お前は全くわかろうとしない。俺のことが大事なら、愛してくれているなら、なんだってしてくれるはずだろう?そんな風に、「してくれない」を「された」と捉えて怒ってしまうのが、自己愛性パーソナリティ障害の思考の特徴の一つ。怒りを他人のせいにしてはいけないね。怒りは相手に引き起こされるものではなく、自分が引き起こしているものだと認識することが大事だよ。

【親子】
子どもに怒りすぎる親も然り。どうしてわかってくれないの、なんでママの言う通りできないの、というのも自己愛憤怒。実は、子どもは悪いことをしていない場合がほとんど。本当は子どものせいではなく、子どもを思うようにできない母親の自己愛が傷つき悲しくなっているということに気がついていない。虐待とまではいかないが、「なんで」「どうして」と泣き怒りする母親は、子どもの自尊心を低下させ、のびやかな心をつぶしてしまうのでカウンセリングを受けておこうね。

【職場】
「お前のことを思って、厳しく言ってやってるんだぞ!」なんていう上司の怒りも、自己愛憤怒。こんなにしてやってるのに、なんであいつはわからないんだ。恩を仇で返すような真似しやがって。「どうして恩返しをしてくれないんだ!」という自己愛憤怒が、パワハラにつながるんだね。

DV、虐待、パワハラ。どれも自己愛憤怒が関係している。

ほめてもらえないという理由では怒らないこと。
質問に答えてもらえないという理由でも怒らないこと。
わかってもらえないという理由でも怒らないこと。
思うようにしてもらえないという理由でも怒らないこと。

頭にくるなぁ、と思うのは自由だけど、相手には相手の権利があるということを理解し、怒りをそのまま相手にぶつけることを正当化するのはやめようね。

でも、怒りを全部我慢しろって言ってるんじゃないよ。必要な怒りを必要な怒りの表現方法で出そうってことだからね。もし、これを読んでも自分の怒りが自己愛憤怒かどうか判断がつかないようなら、カウンセリングを利用することを考えてみてね。

れた思考』を意識しておくと、されたと思ってることのほとんどが、実はされていないということに気がつけるようになるので、日常場面で怒るなんてことはかなり少なくなってくるはずだよ。理屈ではわかっても、実際に身に着けるのは大変だろうけど、今後の自分のために身に着けておきたいね。ではまた。

自己愛と恥

c1.png「うーん、穴があったら入りたい」

n1.png「どうしたの?穴掘って埋めてあげようか?」

c2.PNG「つい見栄を張って、知ったかぶりしちゃってね。思い返すと恥ずかしくて反省中」

a1.png「そんなこと気にしてんのか?そんなの俺はしょっちゅうだぞ」

t1.png「堂々と言うな。まぁ、アンタは恥知らずだから反省することもないでしょうけど」

a2.png「はぁ?!そういうお前だって、しおらしく反省してる姿とか見たことねーし」

t3.PNG「あ、あたしは見せないだけで、ちゃんと一人で反省してるわよ!!!」


かうんさるーより一言
c3.png「反省だけなら猿でもできるっていうけど、人間の方が反省するの下手だと思う」

自己愛を英語で言うと「ナルシシズム(narcissism)」。「シ」が重なるよ。一般的に、自分のことが大好きな人をナルシストと揶揄して言うようなのとは、ニュアンス的にちょっと違うかな。

自己愛とは、自分を価値のある存在だと思おうとする心の働きのこと。「自分はなんてダメな奴なんだー」という恥の気持ちとは正反対のものだね。ということで、自己愛と恥は表裏一体の概念ということを、まずは覚えておこう。

自己愛は、あればあるだけいいってものでもないし、なくせばいいってものでもないんだ。同じく、恥も感じなくなればいいってものではなくて、時に、恥は感じる必要があるもの。モンキークリニックを読んでいる人は、0か100かという考え方はしないはずだから、なんとなくはわかるよね。

じゃあ、自己愛ってどのくらいあるのが健全と言えるのか。自己愛と恥の状態を数字に置き換えて、パーソナリティ障害のタイプを軸にして考えてみよう。まずはわかりやすく3分割(数字は例えで目安だから厳密には考えないようにね)。

(1)自己愛0/恥100
(2)自己愛50/恥50
(3)自己愛100/恥0

(1)は、自分のことが全く価値のある人間だとは思えない状態。むしろ、自分なんか死んだ方が世のため人のためになるとしか思えなくなる。「自分は卑小で罪深く生きている資格がない」と死というものに意識が囚われてしまう。例えば、うつ病(内因性うつ病・メランコリー型)の期間も一時的にこの状態になっていると言えるね。

また、慢性的に自己愛0の状態なら、それはうつ病というよりも境界性パーソナリティ障害の可能性が高いよ。正確には、うつ病ほど自己愛0じゃなくて、自己愛が5くらいあることで逆に苦しい状態。つまり、いっそ、その生にしがみつく醜い自己愛5がなくなれば死ねるのにと思っていて、生き恥を晒している自分が嫌で仕方なくて苦しい

そんな自己愛0〜5の時は、頑張って状況を変えようとか、自分が変わろうなんて全然思えないね。どうせ自分には何をやっても無理と思っているし、自分に何かしてやる価値なんてないと思っているから。

(2)が、健全な状態かな。「自分はそこそこ、それなりに価値がある人間だよな」と思いつつ、「いやいや、まだまだ、こんな自分に甘んじてちゃいけないな」程度。恥を感じるからこそ努力して改善していこうと思えるし、自己愛もあるから、努力している自分のことが好きだなとも思える。

人に褒められたら嬉しいし、バカにされたらムッとする。有頂天にもならず、激怒もしない。そんなにあれこれ人に求めすぎない。自分が失敗して恥ずかしかった話をネタにできるし、たまには、「今日はいい仕事したな」と素直に思える。

そんな感じだからこそ、必要な場面では反省もできるし謝罪もできる。そういう人には、2ch掲示板では滅多にお目にかかれないね(←偏見)。

とはいえ、完全に均衡がとれている場合だけが健全ってわけではなくて、自己愛40/恥60で引っ込み思案、逆に自己愛60/恥40でリーダー気質みたいな感じで捉えておくといいよ。自己愛と恥の両方を適度に感じられればOK。

(3)は、厚顔無恥。「どうだ、俺はすごいだろう」という暑苦しいタイプで、周りの人の目を気にせず、誰彼かまわず怒鳴る。人の意見をきかず、反省もせず、変わろうとしないので、本人は病まずに周りの人が病む

他人を蹴落とすことに良心が痛まず躊躇がないので、剛腕という評判とともに社会的に成功していることもあるかも。ただ、強いて分類すれば、自己愛性パーソナリティ障害・誇大型ということにもなるので、恥を感じなさすぎることにもやっぱり問題があるんだよ。

さて、上記の3つは比較的内面と外面が一致しているのでわかりやすいんだけど、自己愛と恥の割合が次のような状態の時は、複雑な様相を示すよ。

(4)自己愛25/恥75(今日のポイント)
「今の自分は本当の自分じゃない、本当の自分には価値があるはずだ」っていう現実を認めていない感じが自己愛25のイメージね。この割合の時は、負けを負けと認められない、負けそうになると途中放棄したり、そもそも勝負を回避したり、なんとか恥を感じないように必死になるんだ。その方法は大きく分けて下記の3つで、パーソナリティ障害の現れ方とも関係するよ。

(4-A)恥75を感じないように、人と関わらずひきこもって自分を守ろうとすると、回避性パーソナリティ障害

(4-B)自己愛25を人に補ってもらうために、自己愛75くらいの一見自信たっぷりの他人に、自分を丸ごと預けてしまうと、依存性パーソナリティ障害

(4-C)本当は自己愛25なのに、自己愛125くらいに見せかけて、恥75を覆い隠そうとする演技性パーソナリティ障害、または自己愛性パーソナリティ障害・過敏型、または強迫性パーソナリティ障害あたりになるかな。一見自信がありそうに見えるけど、本当は自信が無い人達ね。その3つは、自己愛125に見せかける手段の違いに特徴が表れるよ。

(4-C-i)演技性パーソナリティ障害
外見や振る舞い方で自己愛125に見せかけ、恥75を隠す。

(4-C-ii)自己愛性パーソナリティ障害・過敏型
理想的なことを口にして自己愛125に見せかけ、恥75を隠す。

(4-C-iii)強迫性パーソナリティ障害
厳密なルールの遵守によって自己愛125に見せかけ、恥75を隠す。

パーソナリティ障害っていうのは奥が深くて難しいね。

特に、自己愛性パーソナリティ障害は、(3)のような自己愛が強すぎる誇大型のことだと思われがちだけど、臨床現場的には、(4-C-ii)のような過敏型タイプも多いと考えられていて、結構ややこしいね。少し説明しておくよ。

自己愛性パーソナリティ障害・過敏型の人は、「自分には才能がある」と思いつつ、それを社会的に形として表に出さない(本当は才能がないから出せない)ので、「押し入れの中のナルシスト」と表現されたりするんだけど、現代では、押し入れではなく「ネットの中のナルシスト」と表現した方が適切かもしれないね。2ch掲示板ではあちこちでお目にかかれるよ(←偏見)。

彼らは、周りの人を見下している一方、ひどく周りからの評価が気になる。偉そうに見えて実は自己愛が不足しているから、他人に認めてもらって自己愛不足を補おうとするんだね。そこに暑苦しさはなく、冷めているのに偉そうで、自分より弱そうな相手にだけ怒鳴る、特に男性の場合は、女性に対してだけ強気だったりする。だから、DVやストーカーとの関連可能性が懸念されてしまったりするね。

こうやって書いてしまうと、なんと酷い書きようだと思うけど、ただね、総じて、本人達が、そうしたくてしているわけではないということは知っておきたいところ。いつの間にか、恥をかいたら死ぬしかないという歪んだ意識に育ってしまっている、あるいは、育てられてしまっているから、必死にならざるを得ない。恥をかいても死なないということが、試したことがないから実感できない。恥を隠せば隠すほど、隠し方が巧妙になり、屁理屈ばかりが身についてしまうという悪循環。今更他人に弱みなんて見せられるはずがない!弱みを見せたらつけこまれ、搾取されるではないか!だったら搾取する側に回りたいと思うのは当然のことじゃないか!・・・みたいな思考になってしまう。全然、自信がある人の思考じゃないんだよね。

こうして考えてみると、悩める人の自己愛や恥という心の動きを捉え、その人が、自己愛と恥の両方を感じながら生きていけるようになるのを支えるのがカウンセラーの一つの役割であり、臨床心理学的な考え方であって、単に傾聴することがカウンセリングではないと改めて思うんだよね。だからボクは、カウンセリングを受けるなら臨床心理士の元に行くように繰り返し伝えているし、昨今のキラキラネーム(DQNネーム)みたいな感じのするカウンセリングルームに行かないように伝えているんだ。そういうところでは、「私はこれでいいんだ!」みたいに自己愛だけが一方的に増長されちゃいそうだからね。

まとめにかえておまけ。例えば、人に『攻撃力5』くらいの力で軽いダメ出しをされた場合について。
うつ病の人や境界性パーソナリティ障害の人は、自己愛が0〜5の状態なので、攻撃力5でも食らってしまうと死にたくなる。健全な人は、攻撃力5を食らうと自己愛45/恥55の状態になるので、恥ずかしい気持ちに傾くけど、一方でそれを元に戻そうと反省し、謝罪し、努力する。自己愛性パーソナリティ障害・誇大型の人は、攻撃力5を食らっても自己愛100が自己愛95になるだけで、痛くも痒くもないし、自己愛95もあるんだから、あっという間に自己愛100に戻る。だから、反省しないし、謝罪もしない。自己愛25/恥75の人達にとって、攻撃力5はそこそこ影響のある威力なわけで、なけなしの自己愛25を固守するために、傷ついていないフリをしたり、時に不釣り合いなほど激怒したりする。
さて、この激怒は、『自己愛憤怒』と呼ばれる自己愛に関連した怒りなんだけど、長くなったのでそれはまた今度。
タグ:自己愛

再認・再生・再構成

c1.png「3×4は12?」

f1.png「はい、そうです」

c1.png「(再認は問題なし)じゃあ、5×6はいくつかな?」

f1.png「うーんと、30です」

c1.png「(ふむふむ。再生もクリア)では、7+7+7+8+8は?」

f1.png「えっと、7×3=21、8×2=16、だから、21+16で37です」

c1.png「(おぉ。再構成もできた)オッケー。よくできました」


かうんさるーより一言
c3.png「今日のテーマは、『わかってる』と『知ってる』の違いだよ」

3種類の思い出し方の違いで説明してみよう。

1)再認
2)再生
3)再構成

まずは、テストの問題で説明する方がわかりやすいのかな。
選択問題が解けるのが、再認できる状態。
穴埋め問題が解けるのが、再生できる状態。
記述問題が解けるのが、再構成できる状態。

この3つは、再認<再生<再構成というような関係。左側は右側に含まれる。つまり、再構成できれば再認と再生もできる。再生ができれば再認もできるけど、再構成はできるとは限らないということね。もう少し詳しくみていこう。

1)再認
読めるけど書けない漢字ってあるよね。例えば『鬱(うつ)』とか『薔薇(ばら)』とか。それが、再認できて(読めて)再生できない(書けない)状態ってこと。相手から言われたり、見せられたり、本を読み返したりした時に「あーそれ知ってる」ってなるやつね。自分からは思い出せないけど、手がかりがあれば思い出せるという感じ。

2)再生
見聞きしたものを、そのままの形で思い出すこと。例えば『鬱』という漢字が書けること。応用はきかなくて、場面によって使い分けることができず、いつでも同じことをするという状態。
勉強を例にすれば、答案が返ってきてから「あー、実はこれわかってたんです」と言っても得点にはならないから、ちゃんと答案に書けるようになっておく必要があるよね。だから、勉強する時に「書いて覚えましょう」と言われるんだけど、つまりは、再認できるだけでなく、再生できるものを増やそうという意味なわけ。漢字練習とかを思い浮かべるとわかりやすいね。

3)再構成
ただそのまま再生するんじゃなくて、他の知識と結びつけたり、覚えたものを組み替えたりして、臨機応変に形を変えて思い出せること。例えば「『鬱』という字が使われる熟語を答えよ」という問題に、「憂鬱(ゆううつ)」とか「鬱屈(うっくつ)」とか答えられれば、再構成できている状態と言えるね。「『鬱』という漢字を使いこなせるようになった」という感じかな。
「自分が覚えるためには、人に教えるのが一番早い」と言われたりするのは、教えるためには深く理解し再構成する必要があるから。再構成できるくらいになれば、忘れたりすることが起きにくいからね。

3つの違いが区別できたかな?
この中で「わかってる」と言っちゃってもいいのは、再構成できる状態だけ。あとの2つは「知ってる」止まり。そこが今日のポイントだよ。

カウンセリング場面での再認・再生・再構成を考えてみよう。

例えば、本を読みながらカウンセリングを行うカウンセラーがいたら嫌だよね。
あるいは、ただ知っている知識を披露するだけのカウンセラーも嫌だよね。
言うまでもなく、ちゃんと心理学的知識を再構成できるレベルまで理解しているカウンセラーに出会いたいと思うのは当然のこと。

じゃあ、カウンセリングに通う人の方はどうか。

意外と多くの人が、カウンセラーから心理学的な知識を提供されると、「それ、本で読んで知ってます」とか、「あー、わかってるんですけどねー」とか言うんだよね。近年は読みやすい形で心理系の本が結構出版されているから、学ぶこと、それ自体は望ましいとは思う。ただね、自己啓発本や、心理系の本をたくさん読みすぎている人の中には、「再認できる状態」を「理解できている状態」だと勘違いしている人も多いんだよね。実は、読んで知っているだけで、わかってはいない。そして、そのことに気がついていない。だから、「いろいろ知っているはずなのに、ちっとも楽にならない」みたいなことが起きて、余計に苦しくなる。そういう理由で、ボクはカウンセリングに来る人にはそういった類の本を読むことをあまり勧めないんだ。

だって、泳ぎ方を本で読んで知っていても泳げるようにはならないし。

逆に、カウンセリングに効果を感じている人は、カウンセリングの内容を家に帰って振り返ったりしているらしいんだ。そして、それをもとにして、考えたことを次のカウンセリングの時に話す。つまり、「家で再認して、カウンセリングで再生して、カウンセラーと一緒に再構成し直す」ということを繰り返しやっているみたい。一言でいえば、カウンセリングの場で練習している、体験しているって感じだね。

例えば、受験生は英単語とか一生懸命覚えているよね。2000語とか。でもそれだけじゃなくて、たまに模試を受けたりして、どのくらい自分ができるようになっているか確認する。それは誰のためでもなく、自分が高校や大学に入りたいから。それと同じように、自分の状態をよくしたいなら、手始めに「認知の歪み」を覚えてみるなんてことをやってみてもいいのかも。10個だよ、それならどうにか覚えられるんじゃないかな。もし、いつでもどこでも10個思い出せるようになったら、次は、いろんな人の言葉を聞いて、認知の歪みに当てはまるものはないか見つけてみる。最後に、自分の考えの中に、認知の歪みがないか見つけてみる。見つけたら、言い換えてみる。その言い換えたフレーズを書き残して、覚えて、使えるようにしておく。そして、その過程を、カウンセラーにチェックしてもらう、なんてことが時には必要かもしれないと思うんだ。

忘れることを恐れずに、まず覚えてみること。覚えたら、内容を保持すること。忘れたらまた覚えなおすこと。相手から言われて、「それ知ってた」とか「わかってるんですけどね」じゃなくて、繰り返し読んで、書いて、自分で説明できる状態にまでもっていくこと。

モンキークリニックを読んでいるだけでは再認止まりだよ。
もう一歩踏み出してカウンセリングに行ってみよう。目指せ、再構成。


追記
c3.png「再構成できなければ、再生のヒントを。再生できなければ、再認のヒントを」

再認・再生・再構成は、子どもの教育という場面でも覚えておくと役に立つよ。
大事なことは、ほめることよりも、ほめられる状況を用意してあげること。

例えば自分の子供が、「3×4は?」に答えられなかった場合、再生ができないということだから、再認できるかどうかのヒントを出そう。「なんでこんなのわからないの!12でしょ!」とダメ出しして、答えを教えちゃうんじゃなくて、「(A)10、(B)11、(C)12、さぁ、どれだ」みたいにある程度答えを絞って提示してあげること。そうすれば、もしかしたら悩みながら、親の反応を見つつ、「うーん・・・、B、、いやCかな?」と答えるかもしれない。そしたら、「正解!」と言ってあげられる。子どもは喜び、次の問題も解きたくなるかもしれない。親も、子どもを「答えられなかった子」と思わず、「答えられた子」と思えるから、そんなにイライラしないで済む。答えそのものよりヒントが大事。「教育」って言葉は、「教える」と「育む」の組み合わせだから、教えるばかりでなく、そういった育むような関わり方ができるといいね。

ホメオスタシスと治療抵抗

n1.png「かるんさるーありがと。もう大丈夫。あたし治ったっぽい」

c1.png「それはよかった。ただ、似たようなことを今までに10回くらい聞いた気もするなぁ」

n1.png「大丈夫、今回こそは。もう前とは全然違うし」

c2.PNG「以前とはどの辺が変わったと思うの?」

n1.png「なんとなくだけどね、もう落ち込んだりしないと思うんだよね」

c1.png「そうか。で、その状態がどのくらい続いているの?」

n3.png「んーっとね・・・3日くらいかな」


かうんさるーから一言
c3.png「治ったと言う人ほど治ってなかったりするんだよなぁ」

ホメオスタシス(恒常性)とは、一般的には体の状態を一定に保とうとする働きのことを言うよ。簡単に言うと、怪我したら自然に傷が治っていく力のことね。不思議だよね、生物の体はなるべく健康な状態が自動的に保たれるようになっているらしい。

ホメオスタシスは心の状態にも作用するよ。例えば、悲しいことがあっても、人はどうにか乗り越えて以前の自分に戻ろうとするし、どんなに頭に来たっていつか冷静になることができる。感情もなるべく健康な状態に保たれるように、永遠には持続しないようにできているんだね。

そんなわけで、基本的に人間は「変化を嫌う」という性質を生まれ持っているんだろうと考えておくのが今日のポイントね。

さて次に、治療抵抗という用語を説明しておくよ。これは、病気を治したい、楽になりたい、幸せになりたいはずなのに、なぜか治療に抵抗してしまうような心の働きのことなんだ。例えば、治るためには必要だとわかっているのに薬を飲まなくなったり、診察やカウンセリングにちゃんと通わなくなったりしてしまうような「本当に治りたいと思ってんの?」と言われちゃいそうな行動のことね。

治療抵抗はなぜ起こるんだろう。理由はいくつか考えられているよ。例えば、その治療方法によって良くなると信じることができないのかもしれないし、また、ある意味、病気が治ってしまうことが怖いのかもしれない。もし、病気が治ってしまったら、本当に自分は社会復帰できるんだろうか?今までは、病気だからできなかったと思っていたけど、実は能力が低くてできないってことがバレちゃうんじゃないか?病気だから許されていたことが、治ったら許してもらえなくなるんじゃないか?

そんなことが気になってしまうんだとしたら、治療に前向きになれなくなってしまうのもおかしなことではないよね。ただ、この治療抵抗っていうのは、ここまでハッキリ自覚できることは少なくて、だいたいが遅刻してきたり、休んだりといった行動で表されることが多いのがちょっと厄介なところなんだけどね。いずれにせよ、治療抵抗っていうのは、変化することへの抵抗に他ならないってわけ。

じゃあ今日のタイトル、この一見反対のように見える、「健康に戻ろうとするホメオスタシス」と、「健康に戻らないようにする治療抵抗」の2つはどういう関係にあるのか。

実はこの2つは、変化への抵抗という意味では同じ力の働きなんだ。だけど、ベース(基準・土台)が健康な状態にあるか、病的な状態にあるかによって言い方が変わってしまう。健康な状態がベースな人が病気になった場合、ホメオスタシスによって、健康な状態に戻ろうとする。一方、病的な状態がベースな人が健康になろうとする場合、ホメオスタシスによって、病的な状態に戻ろうとしてしまう。後者のホメオスタシスを、治療抵抗って呼んでいるんだね。

特に、パーソナリティ障害の方は、長年かけて歪んだ状態がベースになってしまっているので、この治療抵抗が生まれやすい。歪んだ状態が当たり前なパーソナリティ障害の方は、幼い頃から幸せな状態なんて一度も味わったことがないと感じているし、ずっとこの状態だったんだから、変われるはずなんてないと思うし、良い方に変わった自分を想像することなんて全然できない。「健康な状態って何?」とさえ思うらしいね。

つまり、パーソナリティ障害の方にとって「治る」とか「健康になる」ということは、未知の領域に足を踏み入れることなんだよね。「健康に戻る」わけじゃない。そうなると、今の病的な状態のままでは辛いんだけど、治ることも未知すぎて怖いという板挟みになる。だったら、今までどうにかこうにか耐えてきた苦しい方が慣れてるし、治療したって治るかどうかわからないんだから、怖いことをするより今のままでいるしかないんだ、という結論に至ったりしてしまうってわけ。

だから、うつ病の方が6ヵ月くらいで復職できると言われるのに対して、パーソナリティ障害の方の回復はもっとずっと長くかかると考えられている。なぜなら、うつ病の方は一般的にベースが健康な状態である場合が多く、うつ病になっても元に戻ろうとする力が働くんだけど、一方、パーソナリティ障害の方は、ベースが病気の方にあるから、逆に良くなってくると病気の方に戻ろうとする力が働きがちだから。

摂食障害の食べ吐きがなかなかやめられない、リストカットでも傷が治れば新たに傷をつけてしまう。もし、それらも元に戻ろうとする力、すなわちホメオスタシスが働いているんだとすれば、ただ単にしないように約束させたりするだけっていうのは、あまりいい方法とは言えないよね。

じゃあどうしたらいいかって言うと、パーソナリティ障害の方は、カウンセリングを長期で受けて、じりじりとベースラインを健康な方にずらしていくことが目標。表面的に短期間で変わる方法を求めるんじゃなくて、治療抵抗に押し負けないように、「病気の方が自分らしい」という歪んだ意識を変えていくことが大事。カウンセリングで変わることが目的ではなくて、変わった後にそれを維持していられるようになるまでがカウンセリングなんだという目的意識を持つことが大切。だから、ボクはだいたい1年半から2年カウンセリングをやることを勧めているんだよ。人が変わるのに劇的な方法なんてない。劇的な改善は、一時的に良くなってもホメオスタシスによって揺り戻されるということを知っておこう。短期間のカウンセリングで改善したような気がする場合、カウンセリング終了後に再び状態が悪化してしまうなんていうのは、こういうカラクリが潜んでいるからなんだよ。

あと、治療抵抗というものを一般の方は知らないので、「本人が自分で治ろうとしない」と言ってパーソナリティ障害の方を責めがちなのが困るね。「病気に甘えてる」「なんでも病気のせいにする」と言って責める。でもね、パーソナリティ障害の方だって、治れるなら治りたいんだよ。ただ、怖いんだよ。治療過程で必要な努力を最後まで続けられるか自信がないんだよ。途中で見放されやしないか心配なんだよ。頑張っても結局治らなかったら、周囲の人にもがっかりされるし、もう、これ以上自分でもがっかりしたくないんだよ。変わるのが怖い、健康になるのが怖い、そんな心理もあるってことを、周囲の人には知っていてもらいたいな。

治療抵抗込みで病気の状態なんだと理解することが大事。治るのが怖い気持ちは当然だよと受け止めてあげて、その上で、健康という未知の領域に踏み込んでみようと思わせてあげられるような関わり方をするのが支援者の役目。その辺が理解できないと、なかなかパーソナリティ障害の方にうまく接することはできないし、逆に本人をより一層苦しめることになってしまうからね。

パーソナリティ障害の方にとっては、周囲からの「変化の押し付け」や「健康の押し付け」が死ぬほどキツい。と言っても、なかなか一般の方には理解が難しいんだろうなぁ…。

フレネミーと賢くつき合う33の法則

f1.png「あの、所長がアドバイザーになった本ってなんて言うんでしたっけ」

k3.png「えっと『アネモネを美しく咲かせる33の原則』って本じゃなかったかしら」

n1.png「いや、あの人、花とか植物とか似合わなすぎるでしょ」

a1.png「確か『プレデターと鋭く突き合う33の戦法』だったような…」

sh1.png「いえいえ、そんな野蛮なタイトルじゃなかったですよ」

t1.png「はいはい、そこまで。で、なんて本だっけ」

s1.PNG「2012年4月19日発売『フレネミーと賢くつき合う33の法則』だよ」
フレネミーと賢くつき合う33の法則
『フレネミーと賢くつき合う33の法則』
発売日/2012年4月19日
発 行/コスミック出版
定 価/1500円
監 修/フレネミー心理研究会
作 画/白ふくろう舎
原 作/浅井貴仁
ISBN /978-4-7747-9084-8
下記サイトで購入できます。
Amazonで買う
オンライン書店ビーケーワンで買う
紀伊國屋書店BookWebで買う
丸善&ジュンク堂書店で買う



かうんさるーから一言
c3.png「タイトル長いよ。略して、フレ賢?フレ則?FLN33?」

モンキークリニックが全面的にバックアップ?!

編集者さん(原作)からフレネミーに関する取材協力の依頼を受けたのがきっかけで、所長がアドバイザーになったよ。巻末に当サイトのアドレスも載せてもらったみたい。占い・手相関係と深層心理テスト関係については、専門外だから別の方がアドバイザーになっているけどね。

若干、揶揄した内容にはなっているけれど、そこは一般の方に楽しんで読んでもらうためなので、ご愛嬌。心理関係者は怒らず大目に見てね。だけど、所長が関わることでパーソナリティ障害の特徴を背景としたリアルな人間模様を描き出せているはずなので、楽しいだけじゃなく、誰もが一度は味わったことのある苦い思い出に重なったりもして、「なるほど、そういうことだったのか〜」なんて、意外と勉強になるかも。「こういう女性いた!今もいる!」って必ず思える内容に仕上がっていると思うよ。

マンガは“白ふくろう舎”さんという方が描いているよ。白ふくろう舎さんは、有名女性誌(Zipper/Seventeen/non-no/CanCam/JJ/ゼクシィ/ニッセンカタログなどなど!)でイラストを描いている方。ブログで「このお仕事はとても楽しかった!(大変だったけど)」と書いてるけど、本当に読み応え十分。女性の裏表がすごく伝わるマンガになっているので、イラストレーターさん・マンガ家さんてすごいなーと心底思ったよ。
46296.com

一応、ちょっとだけフレネミーのおさらいをしておこうか。フレネミーは、フレンド(友達)とエネミー(敵)を組み合わせた海外由来の造語。一見、友達なんだけど、実は友達の足を引っ張ったり、裏で友達の悪口を言っていたりするような人のことを言うんだ。フレネミーの特徴は、演技性パーソナリティ障害と重なる部分が多いよ。詳しくはフレネミーとパーソナリティ障害の記事を読んでね。そして、もっと詳しく知りたくなったら、『フレネミーと賢くつき合う33の法則』を買ってみるといいよ。


モンキークリニック所長のつぶやき
s1.PNG「いつか、モンキークリニックも本にならないかな(笑)」

記念日反応/命日反応

n3.png「毎年、あの事件が起きた日が近づくと胸がザワザワするの」

b1.png「そりゃ記念日反応だな」

n1.png「ナニソレ・・・記念日なわけないじゃん。最悪」

b1.png「いや、そういう記念日じゃなくてな。そういう専門用語があるってだけで」

n3.png「あたしには専門用語とかどうでもいいし。記念日とかありえないし」

b1.png「命日反応とも言うぞ」

n1.png「あたしは死んでねーよ、クソジジイ」


かうんさるーから一言
c3.png「記念日反応という非道い専門用語は変えたほうがいい」

記念日反応は、PTSDに特徴的に見られる反応で、毎年、心的外傷(トラウマ)を負うほどの被害に遭った日付が近づくにつれて、心身の状態が悪化していく状態のことを言うんだ。親しい人が亡くなっている場合には、命日反応という言い方がされることが多いかもしれないね。症状としては、眠れない、気分が落ち込む等に限らず、「よくわからないけど不調」みたいなことも多くて、カウンセリング中には「(胸が)ザワザワする」と表現されたりするね。原因がわからないから落ち着かなくて不安になるらしい。なので、「これは記念日反応って言うのか」と知ると、少なくとも心的外傷が症状の原因だとわかるので、辛いけど少しはホッとする。

記念日反応は、基本的には「月日」に対する反応が主で、1年に1回そういう時期があるということなんだけど、しかし、臨床的には「日付」のみに対して小規模で頻回な記念日反応が起きているようなケースもあるよ。つまり、毎月同じ日に、1年に12回も具合が悪くなるという方がいるというのが実態なんだ。記憶というのは、日付にくっついてしまうものなんだね。

さて、記念日反応はanniversary reactionの和訳なわけだけど、果たしてその表現が適切なのか疑問だよ。トラウマになるくらいの出来事が起きた日をアニバーサリーとか記念日とかってどうして言えるかな。当事者にしてみたら、記念日どころか「念日」というニュアンスのほうがしっくりくるもんだよ(そういう言葉はないけど、一周忌とか三回忌とかの「忌む日」という意味で)。そういう意味では、命日反応というほうがまだマシだとは思う。

例えば、東日本大震災では3月11日、阪神淡路大震災では1月17日が、多くの方の記念日反応/命日反応を引き起こすことになる。被災者、特に遺族にとっては故人を忘れてはいけない日であり、紛れもなく命日だから、命日反応と言ったほうがいいだろうね。でも、例えばレイプされた女性にとって、記念日反応/命日反応という言葉はどんな響きで聞こえるだろうか。記念日は論外だよね。じゃあ命日かと言われると、誰も死んでないからなんだか違和感がある(※ただし、「レイプされる以前の汚れていない私は死んだ」と感じている女性は多く、命日反応という言葉がしっくりくる女性もいる。でも、だからこそ、ボクは被害女性に対して、命日反応という言葉を使いたくないと思っているよ。辛くてもその人は生きているし、「以前の自分は死んでしまった」と感じたままでいてもらいたくないから。もちろん、そう感じてしまっていること自体を否定する気はないけれど)

そもそも、なんでこんな名称になっているかというと、実は、辞書的な「記念」という言葉には、明るく楽しいというニュアンスはそれほど含まれていないからだろうね。一般的には記念イコールお祝い事という感じになっているけど、本来、記念というのは「忘れずに記す」という意味が強く、「祝う」というニュアンスを持つとは限らないんだ。「記念碑」という使われ方があると言えばわかるかな。だから、ここまで言っておいてなんだけど、あながち記念日反応という用語は間違いというわけではない。

間違いではないんだけど、でも、たかが表現、されど表現。

心に関連する診断名や用語は、当事者や関係者に配慮された言葉に変えられるような時代の流れにあって、例えば「精神分裂病」は「統合失調症」に変えられたし、「障害」は「障碍」あるいは「障がい」に、「自殺」は「自死」に、「人格障害」は「パーソナリティ障害」といったように変えられようとしているんだ。だから、記念日反応/命日反応も名称を変えたらいいと思うんだよね。反復性外傷日反応とかどうだろう。うーん、センスないかな。

「心理学の教科書に書いてある」、あるいは「そう教えられた」というだけで疑問を持たず、クライエントの気持ちに思いを馳せずに「記念日反応」と言ってしまうようなカウンセラーにはなりたくない。これからも気をつけて言葉を使っていこうっと。

妄想

f2.PNG「先生…人間はもうダメです」

b1.png「ん〜?どうしたんだ?」

f2.PNG「人間は自然を大切にしません。地球は泣いています」

b1.png「んー、まぁ最近はそうでもないんじゃないか?」

f2.PNG「いいえ、相変わらずです。このままでは世界は終焉を迎えます」

b1.png「そうか。んで、世界の終焉を迎えるとどうなるんだ?」

f3.PNG「わ…わたしが新世界の神になるっ!!!」


かうんさるーから一言
c3.png「こういうのを『デスノート妄想』と言う(嘘)」

日常的に用いられる"妄想"と専門用語の"妄想"は意味が違うよ。日常的に用いられる妄想は、「変な空想」とか「ありえない空想」という意味で使われてるけど、専門用語の妄想は、「訂正不可能なほど確信している」という意味があるんだ。だから、「それって被害妄想じゃない?」とか日常的に言われてるのは、厳密に言えば妄想じゃないわけ。被害的になってても半信半疑くらいだったり、周りの人の意見を聞いて思い直せる程度であることがほとんどだからね。今日は、もう少し詳しく「妄想」という言葉についてみていこう。関係していそうなものは以下の5つ。

@ 妄想性パーソナリティ障害(パラノイド・パーソナリティ・ディスオーダー)
A 統合失調症(シゾフレニー[独語]/スキゾフレニア[英語])
   の妄想型(パラノイド・タイプ/パラフレニー[妄想型統合失調症])
B 妄想性障害(パラノイア[通称]/delusion disorder[正式])
C うつ病の妄想
D 認知症の妄想

先に上記のポイントをまとめておくと、次のような違いがあるよ。

@ 妄想ではなく猜疑心(さいぎしん)
A 妄想以外にも意欲や思路の障害が認められる
B 妄想以外には精神機能上の障害が認められない
C 悲観的な妄想
D 被害妄想

【猜疑心と妄想の違い】
妄想性パーソナリティ障害の人達が持っているのは妄想ではなく、確信には至らないとても強い猜疑心(疑り深さ)なんだ。猜疑心は確信ではないから訂正することが可能だよ。一方、妄想という場合は確信に至っているので、先にも述べたとおり、通常の関わり方での訂正は極めて困難。本当に妄想を持つ人は、自分の考えを確信しているから妄想だと指摘されても全然認めないよ。じゃあ、どうやって猜疑心と妄想を見分けるか。

猜疑心は「原因」から「結果」を決めつけようとして疑っている状態だから、情報が追加されたりすれば意見を変えることができるよ。一方、妄想は「結果」が決まってしまってから「原因」を振り返るというプロセスのようで、むしろ、過去に遡って原因を幾つも見出してしまうような感じなんだ。見い出すというより、生み出す、作り出すとさえ言えるね。妄想は、矛盾点をつくことで、逆に「そういえば、あの時だってあーだったこうだった」とか、「他にもいくつも証拠はある」というように原因がどんどん増えていって、より強固に体系化されてしまうので気をつけよう。

【統合失調症と妄想性障害の違い】
統合失調症の妄想型に効く薬が、妄想性障害にはあまり効かないということもあるので、その2つは別の精神疾患と考えられているようだよ。好発年齢にも違いがあって、統合失調症は若年発症、妄想性障害は中年発症であることが多いんだ。また、統合失調症は妄想以外にも幾つかの特徴的な症状がみられるけど、妄想性障害は妄想だけが症状で他の機能に低下はみられない。だから、統合失調症と妄想性障害は似て非なる病気だと思っておいたほうがいいよ。

統合失調症の妄想は「突拍子もない」という表現がぴったりだよ。特に、メディア関連の妄想は特徴的だね。テレビや紙面で自分のことが語られていたり書かれていると感じたりすることがあるらしい。その時は「自分のことかもしれない」という言い方ではなくて、「自分のことが語られたので驚いた」とか「自分のことが書いてあって驚いた」という表現をするよ。妄想型統合失調症の人は、「とんでもない事実を発見しちゃった」と体験することも多いらしい。あとは、盗聴や盗撮をされているとか電波関係の妄想も、かなり統合失調症に特徴的だね。

一方、妄想性障害で特徴的な妄想、特に女性では、不貞に関するものが目立つかな。一般的なのは「夫が浮気している」だね。「浮気しているかもしれない」ではなくて、「浮気しているんです」と言い切るよ。根拠を尋ねると、先述したとおり、やっぱり幾つでも挙げられるんだ。「だって、○○なんです」、「他にも○○で」、「あ、今思い出しましたけど、あの時も本当は○○…」という感じ。あとは、誰かが夜間に部屋に忍び込んで寝ている自分の体を触っているとか、とても信じ難い内容を訴えたりもする。信じ難いけど、絶対に無いとは言い切れない。その辺が、統合失調症の妄想とは違うんだ。

【一次妄想と二次妄想の違い】
もう少し詳しく説明しよう。統合失調症の妄想は一次妄想の場合が多く、妄想性障害の妄想は二次妄想として理解できるという違いがあるよ。

一次妄想というのは、本人以外には全く根拠が理解できないようなもので、例えば「世界が終わりに向かっている」とか、「貧しい人達が自分に助けを求めている」といった類のものだよ。周りの人は、本人がなぜそんな風に感じるのか全くわからない、発生源が不明な妄想だね。

一方、二次妄想というのは、本人以外にも多少はきっかけくらいは推測できるようなもので、比較的現実的に起こる可能性はあるもの。例えば「自分の病気は一生治らない」、「お金が盗られている」や「毒を盛られている」といった妄想だね。そういうことはほとんど無いだろうけど、無いとも言えないって感じ。例の前者はうつ病の妄想に見られる「心気妄想」で、後者は認知症の妄想に見られる「物盗られ妄想」、「被毒妄想」と言うよ。先述の妄想性障害の妄想の例も二次妄想で、「嫉妬妄想」とか「色情妄想」と分類されたりするよ。

一覧にするとこんな感じかな。
疾患別主/副妄想内容その他の症状等
妄想性パーソナリティ障害猜疑心主症状不信/攻撃性/好訴性
統合失調症の妄想型一次妄想主症状(※1)誇大/察知/盗聴/電波思路障害/幻聴/意欲低下等
妄想性障害の妄想二次妄想主症状色情/嫉妬妄想以外には機能低下せず
うつ病の妄想二次妄想副症状悲観/卑小/罪責/不治落ち込み/意欲低下/希死念慮等
認知症の妄想二次妄想副症状被毒/物盗られ知能・記憶・見当識の低下
※1 統合失調症は妄想の出現しない型もある


【重複する可能性がある場合】
精神科診断名は、最も強く出ている症状を決め手にしたり、複数の症状の背景となっている病理を推定して診断名を1つだけつける場合もあるし、複数つける場合もある。特にパーソナリティ障害は、基本的に他の精神疾患とは独立させて診断名をつけてよいことになってるから、例えば妄想性障害と妄想性パーソナリティ障害の診断名を両方つけることも可能ってこと。しかし、実際には猜疑心が強いパーソナリティ障害で妄想も出現しているにも関わらず、妄想性障害とだけ診断名をつけられてしまっていることが多い気がするよ。つまり、まだまだパーソナリティ障害は軽く扱われているってことだろうね。残念ながら。

【妄想の見立て方】
最後に、臨床心理士の人達の中にも見立ての順番が間違っている人が結構いるので伝えておくよ。まず、クライエントの発言に妄想が見られた場合、最初に可能性を考えるのは統合失調症じゃなくて妄想性障害だよ。その上で、次にすることは統合失調症のその他の症状の確認。そして、うつ病や認知症の症状の確認という流れだね。とにかく、妄想内容の聴取は大切だけど、それに片寄らずに妄想以外の症状の有無をしっかりとみていくことが大事。そういう風に考えないと妄想性障害は見落とされる可能性が高くなってしまうからね。

とはいえ、なんで多くの人が妄想からすぐに統合失調症を連想するかっていうと、実際統計的には統合失調症の妄想型が多いからなんだよね。出会う確率は妄想性障害より明らかに多い。けれど、臨床というのは目の前のクライエントをちゃんとみることが大事だから、統計を優先させないようにしなくてはならない。そういう意味で、見立てていく順番は大切という戒めも時には必要。

あ、妄想出現で真っ先に考えなくてはいけないのは、脳の器質的な外傷の有無か。脳腫瘍があったりするかもしれないしね。妄想があるから精神疾患だとは安易に考えないように。そして、診断名をつけられるのは医師だけだということも忘れないようにしなきゃね。


さて、下記の問題が解けるようになってるかな?それぞれ今日の記事内にあるどの精神疾患に当てはまるか考えてみよう。

【問題】

Q1.私の部屋には盗聴機が仕掛けられていて、誰かに盗み聞きされている。外出中にも尾行されている。テレビを見ていても、芸能人を通して、私を監視しているというメッセージが送られてくる。
Q2.嫁が私の食事に毒を盛っている。さらに私の財布からお金を抜いたりもしている。
Q3.親しげに近づいてくる人間は自分を騙そうとしているので信用してはいけない。
Q4.私は罪深い人間だからこの病気は一生治らない。
Q5.隣家のご主人が、私が風呂に入っているところを覗くので困っている。覗いているところを見つけたことはないけれど、風呂に入っているといつも窓が開く音が聞こえるからそうに違いない。

【答え】A1.統合失調症 A2.認知症 A3.妄想性パーソナリティ障害 A4.うつ病 A5.妄想性障害

対象喪失

k2.PNG「え?嘘でしょ?嫌だ、また薔薇が枯れてしまったわ!」

c1.png「また枯れてしまったんですか、残念ですね」

k2.PNG「どうして?あんなに一生懸命愛情を注いで育てたのに!」

c1.png「とても大切にされていましたよね」

k1.png「・・・最近合コンに行ってばかりだったから、きっと神様が私に罰を与えたんだわ」

c2.PNG「いやいや、合コンの帰りにだって、ほろ酔いで水をやりに来てたじゃないですか」

k1.png「もう嫌、私生きていけない。こんなんじゃ仕事もできないわ」


ぶるどくたーによるミニ講座
b1.png「コラコラ、仕事はちゃんとしてくれよ」

大切だったものを失うということを「対象喪失」と言うぞ。最も大きなものは愛している人が死んでしまうことだな。それに続いて、配偶者や付き合っている奴にフラれることも対象喪失だし、大切に育てていた薔薇が枯れてしまうことも紛れもなく対象喪失ということができる。

一方、「実在していないもの」を失うことも対象喪失に当たるぞ。例えば、会社員でいえば降格(偉い肩書きがなくなる)、学生でいえば勉強や運動での順位の低下等、自分が自信を持っていたところや自分らしさに関係するものならなんでも当てはまる。それは人によって違くて、例えば歌手にとったら声が出なくなることは一般の奴が声を失うことよりも、文字通り「致命的」にショックな出来事ということができるな。

さてと、対象を喪失した時、人間の反応というのは比較的同じ経過をたどるということをとりあえず知っておこうか。それは、@否認、A怒り、B取引、C抑うつ、D受容の5段階だな。

@否認
「え?嘘でしょ?嫌だ、変な冗談言わないでよ」

A怒り
「ふざけないでよ!なんでこんなことが起こるのよ!」

B取引
「私が自分のことばかり考えていたから罰が与えられたんだわ。これからはちゃんとするから、お願い、あの人を返して」

C抑うつ
「何をしても願っても、あの人は帰ってこない。私、辛くてどうにかなってしまいそう」

D受容
「辛くて仕方ないけど、私はあの人を忘れないで生きていく。それだけが私にできることだと思うから」

こんな風に必ずしも順番通りにはいかないことも多いが、だいたいは5つの段階を経て、対象喪失を乗り越えてゆくもんだ。だから、もしも友達が何かを失って辛そうにしている時は、「元気出して」とか「前向きにいこうよ」とか励ましの声をかけても無駄だぞ。むしろ、「そんなこと言われても元気出ないよ、前向きになんかなれないよ、ほっといてよ」と思われてしまうのがオチだ。

じゃあどうするかっていうとな、落ち込んでいる友達をちゃんとそのまま落ち込ませてやるってこった。そんで、そいつの側にそっと居てやれ。抑うつ(落ち込む)というのは、人間にとって次のステップにいくために必要な行為だから、それを無闇に邪魔すんなよ。あんまり状態が悪かったら、カウンセリングを勧めておけ。そして、できれば最初は付き添ってやれ。

一方、中には失ったものが大きすぎて、@否認、の状態が長く続いてしまうこともあるぞ。認めてしまうと辛すぎて心がバラバラになっちまいそうだから、感情を切り離しちまうんだな。具体的には、悲しいことが起きたのに「頭ではわかっているんですけど、実感がなくて、泣けないんですよね」といった感じだ。あるいは、「平気平気、不思議だけど全然辛くないんだよねー」とあっけらかんとしていることもある。そういう時は、対象喪失を乗り越えてない場合が多いから、あとで一人になってズドーンと落ち込んだりするっつーわけだ。もし、そんな感じの奴に会ったら、しばらく気にかけて声をかけてやれよ。泣けるようになったら一安心だ。ただし、無理やり泣かせようとするなよ。事実を受け入れようっていう心の準備が出来てなくて泣けないんだから、それはそれで大事にしてやろう。

あとは、ちゃんと怒れるかどうかもポイントだ。悲しい出来事は、本人にとったら突然で理不尽なことだから通常頭にくるものなんだが、その怒りを出せないと変な風にイライラしたり、ピリピリしたりしちまうからな。怒るってのも大切な行為なわけだ。

精神科やカウンセリングに通う人間のイメージは、泣いている奴や落ち込んでいる奴だと思われがちだけど、実際には、「泣けない奴」や「怒れない奴」、「落ち込めない奴」も多いもんだよ。そんな時には、話をよく聴いてやってな、そいつがどの段階にいて、次に進むためにはどんな状態になったらいいか考えて、感情に働きかけていくといったことをワシやかうんさるーは行っているよ。

明るく楽しく元気よく、そんな風にだけして生きるなんて出来っこないぞ。無理してネガティブな感情を抑え込んじまうとろくなことにならんからな。

スプリッティング

n1.png「おはよーぶるっと先生。今日も元気にシワクチャだね」

k2.PNG「なや美ちゃん。もう少し目上の人への言葉遣いに気をつけた方がいいんじゃないかしら」

n1.png「は?何なの?あたし、アンタに注意される覚えないんだけど。ムカつく。最悪」

b1.png「まぁまぁ、いいじゃないか、ワシは気にしとらんよ」

n1.png「ほら、先生だっていいって言ってるじゃん」

k1.png「・・・先生がいいって言うならいいんですけど」

n1.png「やーい、バーカバーカバカナース」


かうんさるーから一言
c3.png「かんごるーさんは良かれと思って言っただけなのにね」

スプリッティングは「分裂」と訳されることがあるけど、分裂だと日常的すぎて心の働きとしての意味がわかりづらくなってしまうので、カタカナのままスプリッティングと言われることが多いよ。

スプリッティングは、嫌な出来事や嫌な気持ち等から自分を守るための心の働きである「防衛機制」の一つ。そして、防衛機制の中でもあまり洗練されていない、より原初的なものに分類されるよ。

パーソナリティ障害の人は、より高次の防衛機制を身につけていなくて、このスプリッティングを多用してしまうことで、対人関係がもめることになってしまう場合が多いんだ。

じゃあ、嫌なことがあった場合に、どんな心の働きが生じるかなんだけど、分裂というからには何かと何かの2つに分かれるっていうのはわかるよね。それは「善」と「悪」であることがほとんど。

例えば、パーソナリティ障害の人が誰かから注意や指摘をされた場合を考えてみよう。注意や指摘というのは自分に非があるということになるから、嫌なことだと思っておいてね。
パーソナリティ的に成熟した人は他人からの注意や指摘を、「自分の成長のため」と思って嫌だとは思わないなんて言う人もいるだろうけど、その「自分の成長のため」と理由づけをするのも嫌なことから自分の身を守る防衛機制の一つ「合理化」に当たるよ。合理化はスプリッティングよりは成熟した防衛機制なんだけど、人というのは自分が傷つかないように、意識せずにそういう風に心を守っているということを知っておこうね

さて、パーソナリティ障害の人は、注意や指摘をされた自分=非のある自分=ダメな自分、という風に感じてしまいやすくて、理想化と脱価値化の記事でも書いたけど、少しでもダメなところがある自分=全てがダメな自分、という風になってしまいがち。0か100かという感じ方だね。

全てがダメな自分と感じてしまったら生きていくのには辛すぎるから、ちょっとでもダメな自分とさえ感じてはいけない。だから、他人から注意や指摘をされても、自分に非があると認めることは簡単にはできないんだ。そこで、スプリッティングという防衛機制によって自分を守るということが起きてくる。

自分は悪くないと感じると、必然的に「相手の注意や指摘が間違っている」ということになるよね。すると、その注意や指摘だけが間違っているんじゃなくて、相手の全てが“完全に間違っている”、“相手は完全にダメな人”となってしまうんだ。その時、相手の良い面というのが、バッサリ切り捨てられてしまっている。その、バッサリ感がまさしく「分裂」という状態を表していて、相手の良い面と悪い面が切り離されてしまっていて、同時に認知できないというのがスプリッティングという状態なわけ。

パーソナリティ障害の人は、相手にはちょっと良いところがあって、ちょっと悪いところもあるという風に見ることがとても苦手なんだよね。

この場合のスプリッティングでは、相手は「悪」そのものになって、自分は「善」そのものになり、対決せざるを得なくなるから、注意や指摘が的を射てないだとか、独断だ!とか、偏見だ!とか、パーソナリティ障害の人はワーワー喚き立てて相手を非難し始めたりするんだよ。

でも、本人は自分が「善」だから悪いことをしているつもりは全くない。むしろ、不当な注意や指摘をされたことを否定することが当然の権利だと思っている。

また、そういう時の「善」なる本人もまた、スプリッティング状態にあると言える。自分の悪い面というのも切り離されて(棚に上げられていて)、完全な善なる存在になりきっているからね。

つまり、スプリッティングというのは対象(相手)に対しても生じるし、自分に対しても生じるものなんだ。良い面と悪い面が切り離された片面同士でコミュニケーションをとるから、そのパターンは、「善(自分)」+「善(相手)」でベッタリ仲良し、「善(自分)」+「悪(相手)」で犬猿の仲となりがちだね。自分のことを「悪」と感じてしまっている場合というのは、自己卑下、自己嫌悪で物凄い落ち込んでいる状態だから、あんまり人ともめることはないかな。人との関わりは、「善」とした相手から慰めてもらうという形になるね(大きく溜息をついてみたり、泣いてみたり、自分がいかにダメな人間かということを語って、相手は「そんなことないよ、君は素敵な人だよ」と言わざるを得ない立場に置かれる)。

そういう時にリストカットをしたりするんだけど、その時にもスプリッティングは関係しているかな。自己嫌悪の最中にリストカットをすると、ダメな自分を傷つけることで、他人から心配されて「(心配される)価値のある自分」という感覚を取り戻したりできたりするんだけど、その時には、「傷つける自分=罰を与える良い自分(善)」と「傷つく自分=罰せられるダメな自分(悪)」というスプリッティングが起きているからね。

あとは、パーソナリティ障害の人が2人の他人と関わると、1人を「善」、もう1人を「悪」にしちゃうこともよくあって、その2人が対立させられちゃうことも多いもの。それもスプリッティング。パーソナリティ障害の人に関わる時には、様々な場面でスプリッティングということが起きているから注意しておこうね。
サイトの説明
モンキークリニックはインターネット上にしか存在しない架空の名称です
MONKEY(モンキー):[名]小型の尾のある猿 [動]ふざける
CLINIC(クリニック) :[名]臨床講義/臨床教室/診療所
このページではパーソナリティ障害,人格障害,治療,カウンセリング,臨床心理,心理士,心理療法,精神疾患,発達障害,統合失調症,気分障害,うつ病,双極性障害,躁うつ病,気分変調性障害,ディスチミア,心的外傷後ストレス障害,PTSD,急性ストレス障害,適応障害,解離性障害,不安障害,パニック障害,強迫性障害,恐怖症,摂食障害,拒食症,過食症,依存症,身体表現性障害,性同一性障害,失調型パーソナリティ障害,スキゾイドパーソナリティ障害,妄想性パーソナリティ障害,境界性パーソナリティ障害,自己愛性パーソナリティ障害,演技性パーソナリティ障害,ボーダーライン,BPD,反社会性パーソナリティ障害,回避性パーソナリティ障害,依存性パーソナリティ障害,強迫性パーソナリティ障害,注意欠如多動性障害,ADHD,学習障害,LD,自閉性障害,自閉症,アスペルガー障害,家庭内暴力,ドメスティックバイオレンス,DV,モラルハラスメント,セクハラ,パワハラ,いじめ,ひきこもり,アダルトチルドレン,ミスターチルドレン,リストカット,オーバードーズ,ODといった概念について猿なりに解説しています。
臨床心理士各位
内容に多少の脚色や都合のよい解釈、偏った意見などが見られると思いますが、まずはどんな方にも興味を持って読んでもらえないと意味がないと考えてのことです。大目に見てくださいますよう宜しくお願い申し上げます。 カウンセリング普及プロジェクト
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